G1・6勝を挙げた「最後の大物」グランアレグリアに、藤沢和雄調教師(70)=美浦=は、調教師人生34年のすべてを注ぎ込んだ。
従来の固定観念を打ち破り、常に「挑戦」してきた師のまさに集大成。ラストに掲げた“非常識”は3階級制覇への挑戦だった。4歳時の20年に安田記念・G1でアーモンドアイを撃破。続く6ハロンのスプリンターズS・G1も制するなど、短距離界を制圧したが、その先にあったのが、翌21年の2000メートルの大阪杯、天皇賞・秋へのチャレンジだった。
失敗すれば評価を落としかねなかったが、「スピードのある馬で2000、2400メートルを走るのが今の流れ」と言い続けてきたことへの答え。さらには、外国産馬は天皇賞に出走できないという当時のルールに阻まれたタイキシャトル、シンコウラブリイなどの思いを乗せての壮大な挑戦だった。
前向きすぎる気性を考慮し、調教で途中からわざと抜かせるなど、気持ちの制御を利かせる調整をしたりと工夫を施し、ターフに送り込んだ。結果は2戦とも4、3着に敗れたが、その「挑戦」は次代への置き土産になった。
藤沢和師は「でも、これは世界的なこと。芝2000メートルをスタミナじゃなくて、スピードで勝ちたかった。彼女はスピードがあるからね。タイプは違ったけどタイキシャトル、シンコウラブリイは使ってみたかった。今まで天皇賞・秋を勝たせてもらった馬よりも、強い馬だから。そういう馬で挑めるので、すごく楽しみだったよね」。名伯楽の34年は、最後までチャレンジスピリットが支えていた。(松末 守司)