「いいか。関西馬の好成績は坂路が理由じゃないぞ…」トレセン広場での競馬教室…伊藤雄二元調教師に感謝 競馬担当記者が悼む

武豊(右)とのタッグなどで一時代を築いた伊藤雄二元調教師
武豊(右)とのタッグなどで一時代を築いた伊藤雄二元調教師

 2007年に引退した元JRA調教師の伊藤雄二(いとう・ゆうじ)さんが17日、老衰のため亡くなったことが19日、明らかになった。85歳だった。93年の日本ダービー馬ウイニングチケット、97年に牝馬史上2頭目の年度代表馬に選出されたエアグルーヴなど、歴史に残る多くのスターホースを管理。歴代8位となるJRA通算1153勝の成績を残し、優秀なホースマンも育てた名トレーナーが旅立った。

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 叱られた記憶しかないが、30年以上前の出来事は貴重な経験だった。「いま、関西馬が強い理由を伊藤雄さんに聞いてこい」。デスクからの指令が出た。厳しいテーマだったが、何も分からない駆け出し記者は、躊躇(ちゅうちょ)することなく取材に出向いた。

 平成を迎えて、関西馬の巻き返しが始まっていた。原動力は栗東トレセンに創設された坂路コース。当時、誰もがそう唱えていたが、大トレーナーに質問を遮られた。

 「いいか。関西馬の好成績は坂路が理由じゃないぞ。調教師、助手、厩務員…。関東に負けられないという気持ち、みんなの努力が成績につながっている」

 そう口火を切ると、1時間を超える臨時の講義が開かれた。坂路利用馬の成績、体調の変化など、ひそかにデータを収集していた。インターネットが普及していない時代だ。マックスビューティ、シャダイカグラを送り出し、毎年リーディング争いを演じていたNO1トレーナーは、常に前を向いていた。現在、広まっている猛暑対策に効果のある馬服を、最初に海外から取り寄せたのも伊藤雄さんだった。

 数々の輝かしい実績も「それは終わったこと」と、振り返ることをよしとしなかった。トレセンの広場から全ての馬が消えるまで続いた競馬教室。感謝の言葉しかない。(編集委員・吉田 哲也)

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