1日夜に亡くなった小林徹弥元騎手の訃報に、今年2月で騎手を引退した川島信二助手は涙が止まらなかった。「若い時からなぜか目を掛けてくれて…。馬が好きで気遣いできる人でした。感謝しかありません」。8歳上の先輩ジョッキーに感謝を込めて哀悼の意を捧げた。
川島にとって小林元騎手は同じ栗東トレセン所属だが、長期滞在に渡る北海道出張で一緒になることが多く、知り合いの先輩助手を通して頻繁に言葉を交わす仲になった。普段は口数の少ない先輩だが、馬のことになると目つきも口ぶりも変わった。「馬乗り(騎手)は調教から馬を作るもんだ」「レースですることは限られてくるから、調教が大事」と何度も言われた。
一流ジョッキーほど乗り鞍に恵まれない川島にとっても、普段の調教から関係者の信頼を勝ち取らねばならなかった。「レースで馬がしっかり実力通り出すために調教では常に馬に床(とこ)を作るんだぞ」。“床”とは、人馬が一体となれる居心地の良いところ。いつからか「床、作ったか」が先輩からの挨拶の言葉に変わった。
何げない日常生活でも忘れられないシーンがあった。「仲間うちで飲んでる席で話が盛り上がってるのにもかかわらず、缶ビールを置いた先輩に『次は何飲みますか?』っと」。空になった缶ビールの音を聞き分けていた小林徹弥さんの感度に、ハッとさせられた。
宴会の席なら聞き逃がしかねない小さな雑音…。後日、小林先輩に問うた答えが「川島は仕草を目で見ているだけ。耳をもっと意識しないと。馬乗りは音をとる耳が必要。耳をもっと意識しないと。馬上でも陸上でも良い馬乗りになるには五感をもっと使って生活しろっ」だった。24時間、騎手としての職業に向き合っている先輩騎手の姿に震えた。
今年2月末で鞭を置いた川島も、“師匠”と同じ調教助手という道を選んだ。「今の自分があるのは徹弥さんの助言があったからこそだと思います。徹弥さんの馬乗りの感覚を未来の馬乗り達に伝えていきます」。2人とも騎手時代に目覚ましい結果を残したわけではない。それでも華やかに見える舞台の裏で、職人魂でつながる師弟の思いが今後も競馬を支えていく。(牧野 博光)
◆川島 信二(かわしま・しんじ)1982年11月24日、東京都生まれ。41歳。01年3月に栗東・安藤正敏厩舎からデビュー。03年小倉大賞典でマイネルブラウに騎乗し、重賞初制覇。JRA通算341勝、重賞5勝。騎手引退後は栗東・庄野厩舎で調教助手となった。身長160センチ、体重50キロ。