今週末で定年引退を迎える調教師を「ラストタクト」と題し、3回連載で取り上げる。初回は騎手時代を含めて多くの歴史的名馬に携わってきた安田隆行調教師(70)=栗東=。
自然と寂しさが込み上げる。引退を今週末に控えた安田隆調教師は何度も同じ言葉をつぶやいた。「ついに来たか…」。騎手に憧れ、中学卒業後の15歳で競馬の世界に入って55年。「ジョッキーとしても、調教師としても、いい人生だったのかなと思います」
騎手時代は680勝。「小倉の安田」と呼ばれ、現地滞在で一日10頭以上の調教に騎乗したことも。小倉開催では45週連続勝利も挙げた。ジョッキー生活の晩年に集大成となったのがトウカイテイオー。91年の皐月賞、日本ダービーは圧倒的な支持を受けながらも、無敗での2冠を達成した。「あの馬の力を知っていれば、恐らく負けないだろうという自信の方が緊張を上回っていました」と懐かしそうに振り返る。
95年、調教師に転身。トランセンドの10年ジャパンCダート(当時)でG1初勝利を挙げた時は競馬場で初めて涙を流した。「騎手は自分ひとりですが、調教師は皆で喜びを分かち合えるんですよ」。開業以来、毎週のように全休日の月曜も朝に厩舎へ足を運ぶ。レース翌日の馬の様子を確認し、出張から帰ってきたスタッフには「お疲れさま」と声をかけてきた。
「今は本当に和気あいあいと、厩舎の雰囲気もすごくいい。スタッフに恵まれました。最高ですね」。人との絆を大切にした空間で、世界のスプリント王と呼ばれたロードカナロアなど国内外でG1・20勝を挙げた数々の名馬たちが生まれた。
今週は土曜のオーシャンSに、ロードカナロア産駒のジュビリーヘッドがスタンバイ。「重賞ではいまひとつですが、中山とすごく相性がいい。何とかならないか、と思っているんです」。短距離王国らしく芝6ハロンでのラスト重賞を終えると、最終日は自身の礎を築いた小倉へ“帰郷”する。
「最後は小倉にしないとダメだなと思っていました。最後まで自然体でいきたいですね」と笑った。地方、海外を入れると通算996勝。「何とか達成したい」と1000勝の大台到達は諦めていない。最後まで全力で駆け抜け、半世紀以上にわたるホースマン人生を全うする。(山本 武志)
◆厩舎別のロードカナロア産駒JRA勝利数 安田隆厩舎が95勝で断トツのトップ。2~5位は矢作厩舎(37勝)、中内田厩舎(29勝)、松永幹厩舎(28勝)、安田翔厩舎、木村厩舎(24勝)と続く。重賞も安田隆厩舎が22勝(2位は国枝厩舎9勝)と他を大きく引き離している。
◆安田 隆行(やすだ・たかゆき)1953年3月5日、京都府生まれ。72年に騎手デビューし、同年12勝で新人賞。75年に重賞初制覇。91年にトウカイテイオーの皐月賞でG1初制覇。94年に引退し、95年に厩舎開業。2000年きさらぎ賞(シルヴァコクピット)で重賞初V。10年ジャパンCダート(トランセンド)でG1初勝利。重賞はG114勝を含む59勝。海外G1は3勝(すべて香港スプリント)。長男は自厩舎所属の安田景一朗助手、次男は安田翔伍調教師。
息子・翔伍師 父との経験「生かさないと失礼」
安田翔調教師の人生のターニングポイントには、父の存在があった。「ジョッキーとして一番活躍している時期を見せてもらって、この世界に憧れを持ちました」。トウカイテイオーで皐月賞、日本ダービーを制すなど騎手として活躍する姿が、競馬の世界に飛び込むきっかけだった。
助手として安田隆厩舎に所属した時期には、ロードカナロアやカレンチャンなどの一流馬に携わった。「海外を含めいろいろな経験をさせてもらった。その経験をどこかで生かしたいと思ったし、生かさないと先生に失礼だと思いました」と調教師転身を考えたという。今後も影響を受けた父の背中を追いかけ続ける。