乱世こそ男のいきがいー寺山修司の美学「たとえ負けるとわかっていても本命の持っている権力的ムードに挑戦したい」…没後40年の「風の吹くまゝ」

予想でも敢然と主張を貫いた寺山
予想でも敢然と主張を貫いた寺山
メジロアサマ(右から2頭目)が勝った70年の天皇賞・秋
メジロアサマ(右から2頭目)が勝った70年の天皇賞・秋
スポーツ報知の復刻コラムを懐かしそうに読む国枝師
スポーツ報知の復刻コラムを懐かしそうに読む国枝師

 没後40年となる詩人で劇作家の寺山修司の競馬コラム復刻企画第2回は、1970年の天皇賞・秋(11月29日)で、同28日付紙面に掲載された「くたばれ、テンリュウ」。JRAの国枝栄調教師(68)=美浦=が、競馬ファン時代に引きつけられた文章の魅力、影響力の大きさを語った。(取材・構成=坂本 達洋)

 70年11月28日付コラム「くたばれ、テンリュウ」再掲

 どういうものかわたしは、大本命というのがきらいである。巨人、大鵬、タマゴ焼きなどといわれたころにも、巨人ぎらい、大鵬ぎらい、タマゴ焼きなどはみるのもいやだったが、シンザンの黄金時代にはシンザンの馬券をきらっては損ばかりしたものだ。だから、天皇賞のアカネテンリュウのように、全紙をあげて本命に推しているとなると、またなんとか負かしたいと考えるのである。

 「どうだろうね、テンリュウにも死角がないだろうか?」と持ちかけると競馬仲間のスシ屋の政は首をひねって「チャイナロックの子だから距離じゃ文句のつけようもないし、ハンデも慣れているし、丸目も絶好調、五歳の秋で充実しているとなると、ケチのつけようがない」

 といった。「だが、すこし重いんじゃないか」とわたしはいった。追い切りじゃクラの下に汗とりをつけていたらしいから太いということも考えられる。

 「しかし、それくらいで負けるとも思えないやね」と政がいった。だが、本命が勝つ世の中は太平ムードでおもしろくない。乱世こそ男のいきがいである。

 わたしは、たとえ負けるとわかっていても本命の持っている権力的ムードに挑戦したい。田中和きゅう舎の二頭タケブエとマキノホープ、それにメジロアサマ、コウジョウあたりが思い切った逆転劇をみせてくれることを期待して、天皇賞にかけてみるつもりである。(詩人)=原文まま=

 1970年の天皇賞・秋

 グレード制導入前年の83年まで続いた3200メートルでの施行。4連勝中の前年菊花賞馬アカネテンリュウが1番人気に推され、直近2年で2、3着のフイニイが2番人気に続いた。メジロアサマは同年5月の安田記念で重賞初勝利を挙げていたものの、そこまでの白星は2000メートルの2勝が最長。出走距離も前走・目黒記念の2500メートルが最長だった。距離適性への疑問から5番人気にとどまるなか、大外13番枠を克服して直線で抜け出し、半馬身差で勝利を収めた。

 ファンの頃から愛読 国枝栄師が語る

 今になって改めて読んでみると、懐かしいのと楽しい思い出がよみがえってくるね。馬の名前も人の名前も、自分が競馬ファンの頃のことだから。よく寺山修司さんのコラムやエッセーは読んでいましたよ。

 私が競馬に興味を持ったきっかけは、中学生の時に競馬好きの友達が70年の菊花賞でタニノムーティエやアローエクスプレスに注目して騒いでいたことからなのです。そう考えたら偶然だけど、寺山さんが報知でコラムを始めた時期と同じだったわけですね。

 書き出しの「巨人、大鵬、タマゴ焼き」だなんて、当時はそうだったし、今になって読むと時代が分かりますよね。“寺山節”というのか、やっぱりうまい。実際の競馬の世界を知らなくても読む者をひきつける文章だから、「いいなあ」って楽しみにしていました。スシ屋の政とか桃ちゃんとか、空想のなかであれだけの面白い世界観を生み出せるのはすごいこと。大人たちの普段は見えない世界をのぞいているような気がしたし、それも競馬をテーマにロマンチックに書けるのは、寺山さんならではだったでしょう。

 この「くたばれ、テンリュウ」なども、本命ではあまり面白くない感覚で競馬を見ていらっしゃったんじゃないかな。登場人物のピリッとしたコメントを読んでも、アングラ的なところはあるよね。それに実際はどんな馬なのかは別にして、もしかしたらこんな性格、キャラクターの馬なのかも、というイマジネーションを膨らませてくれる。そういう面も面白かった。

 今から思うと寺山さんに限らず、当時の詩人の志摩直人さん【注1】は詩集「風はその背にたてがみに」で競馬を知らない人にも影響を与えたと思います。タレントでは大橋巨泉さん【注2】が有名だけど、ああいう人たちが違った視点から競馬を盛り上げてくれたからこそ、ハイセイコー、オグリキャップと今に続くブーム、大きな文化的な意味合いを与えてくれたのではと思います。

 そう考えると馬事文化の点からみても、すごく重要なことは多い。私は大きな功績を歴史に残した騎手、調教師、競走馬の名前をレース名に残すべきだと考えていますが、いろんな形で競馬文化を築き上げていくことが必要。それがより競馬のステータスを高めることにつながると思うし、こうやって寺山さんに光を当てることで、我々は当時のサラブレッドや人々の活躍を思い出せるわけですから。(JRA調教師)

【注1】詩人、競馬評論家。昭和40年代後半に発刊された競馬の詩集「風はその背にたてがみに」はベストセラーに。「東の寺山修司」「西の志摩直人」と並び称された。

【注2】ジャズ評論家、放送作家の一方で「11PM」「クイズダービー」など多くのテレビ番組の司会で人気に。競馬は報知新聞にコラムを持つなど舌鋒鋭い評論が話題を呼んだ。馬主でもあった。

 ノースブリッジをひいきに!?~取材後記

 競馬サークルから見た寺山修司さんを知りたい。そう考えて国枝調教師の話を聞き、改めて分かったことがある。それは競馬が、馬券や予想だけの単なる“勝ち負け”で終わらないことだ。

 国枝師が自ら本棚から過去の競馬界の出来事をまとめた「競馬歴史新聞」(98年出版)を持ち出してきて、じっくりと昔話まで聞かせてくれたのは、積み重ねてきた歴史や文化を大切にすべきという思いにほかならない。そこには寺山さんの作品も、確かな一ページとして存在している。

 今年の天皇賞・秋は世界ランキング1位のイクイノックスという大本命が出走。「大本命というものがきらい」という寺山さんだったら買わないだろう。他にもG1で1番人気になってもおかしくない有力馬が並ぶが、私の勝手な想像だと、ノースブリッジをひいきにしそうな気がする。

 レース後はいったん放牧を挟み、次のレースに向けて調整していくのが現在の競馬の主流だが、ノースブリッジは馬本位で3年近くも在厩し続けている、言わば“美浦の主”。同馬を管理する奥村武調教師の師匠が国枝師というのも、何かの縁のような気がしてならない。(坂本 達洋)

 1970年の主な出来事

 第37回日本ダービーは2番人気のタニノムーティエ(牡、京都・島崎宏厩舎)が、安田伊佐夫騎手とのコンビで皐月賞とあわせて2冠制覇。プロ野球ではセ・リーグで巨人が6連覇を達成して、日本シリーズでもロッテを破って6年連続日本一。また、前年に発覚した複数選手が敗退行為に関与した「黒い霧事件」の激震が続いていた。3月に大阪万博が開催されて、同月に「よど号ハイジャック事件」が発生。11月には作家の三島由紀夫が自衛隊市ケ谷駐屯地に立てこもり、割腹自殺する事件も起きた。

 ◆寺山 修司(てらやま・しゅうじ)1935年12月10日、青森県生まれ。54年に早大教育学部国語国文学科に入学して、ネフローゼにかかり翌年中退。在学中に「チェホフ祭」で第2回短歌研究新人賞を受賞、創作の道に入る。67年に演劇実験室「天井桟敷」を設立。劇作家として活躍して、詩、映画、文学、評論など幅広い分野で才能を発揮した。83年5月4日に肝硬変と腹膜炎のため敗血症を併発して死去した。享年47。

 ◆国枝 栄(くにえだ・さかえ)1955年4月14日生まれ。岐阜県出身。68歳。東京農工大卒業後、78年から美浦・山崎彰義厩舎で調教助手。89年に調教師免許を取得して、90年に開業。10年にアパパネ、18年にアーモンドアイで牝馬3冠達成。天皇賞・秋は19、20年にアーモンドアイで連覇。JRA通算8812戦1051勝。JRA・G1・21勝を含む重賞63勝。著書に「覚悟の競馬論」がある。

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