中野栄治調教師が語る「19万人のナカノ・コール」90年アイネスフウジンでダービー制覇「感動は現場にある」

ウィニングランをする中野栄治騎手とアイネスフウジン(中央)
ウィニングランをする中野栄治騎手とアイネスフウジン(中央)

 6月10日に創刊150周年を迎える報知新聞の特別企画「スポーツ報知150周年 瞬間の記憶」。今年の日本ダービー(29日、東京競馬場・芝2400メートル)を前に振り返るのは、「19万人のナカノ・コール」です。32年前の1990年日本ダービーで世界レコードとなる19万6517人が、勝者のアイネスフウジンと中野栄治騎手をたたえた伝説の一日。新型コロナ感染拡大の防止の観点から入場制限を設けている現状を踏まえ、現在調教師の中野元騎手(69)が、熱狂の復活を願った。

 競馬ファンの熱気が突如、府中の空にこだました。「ナッカーノ! ナッカーノ!」。1990年5月27日の東京競馬場。どこからともなく湧き起こった声がたちまち連鎖する。いつしか19万6517人の大合唱に変わった。例を見ない勝者への賛辞の先には日本ダービーで頂点に立ったアイネスフウジン。「え? そんなことあるの?」と馬上で中野は戸惑った。

 ウィニングランから1コーナー付近に戻ってきて聞こえる「ナカノ・コール」は、地下の検量室や外の正門付近まで響いた。8度目の挑戦でダービージョッキーの勲章を初めて手にした37歳の男は、その光景を決して忘れない。

ダービー入場者数グラフ
ダービー入場者数グラフ

 前年は減量に苦しみ、乗り鞍がピーク時の半分以下にあたる105鞍まで落ち込み、勝利数はルーキーイヤー以来の1ケタ(9勝)。地獄を味わっていた。「アイネスフウジンは負けろ、とかそういうふうに思っていた人もいたと思う。でも、19万人はジェラシーを吹き飛ばしたんだよ」。ダービーレコードの2分25秒3を目撃したこの日の観衆は競馬の世界レコード(当時)。この一日が同年末の有馬記念で名馬オグリキャップへ送られた「オグリ・コール」を生み、90年代の競馬ブームに火をつけた。

 レースは22歳の横山典弘が1番人気メジロライアン、21歳の武豊が2番人気ハクタイセイに騎乗。「ヤング・ダービー」と注目された。当時の新語・流行語大賞になった「オヤジギャル」の姿もあった。警察官416人、警備員418人が動員。売上金も前年を100億円も上回る当時のダービー史上最高の397億円に至った。

 現在、中野と同じ美浦トレーニングセンター(茨城県美浦村)で調教師を務める小島茂之も当日は仲間と徹夜で入場門前に並び、伝説の“ナカノ・コール”に参加した一人だった。「僕だけじゃなく、みんな気分よく帰ったんじゃないですかね」と興奮気味に振り返るほどだった。

 そこからちょうど30年後の2020年。新型コロナウイルスが猛威を振るい、2月29日から無観客競馬に。その日の中山競馬メインを飾る11R・サンシャインSを勝ったのは、中野が管理するサンアップルトンだった。「異様だったよね。僕は19万人の競馬場で勝ちも経験しているけど、0人も経験したんだ」。騎手から調教師となり、両極端の景色を味わった。

 その年の日本ダービーは第2次世界大戦下の1944年以来となる76年ぶりの無観客開催。のちに無敗で3冠を達成するコントレイルが頂点を極め、レース後に馬上の福永祐一が無人の府中のスタンドに一礼した姿は記憶に新しい。

 現在人気のスマホアプリ「ウマ娘 プリティーダービー」にはアイネスフウジンも登場。再び競馬熱が高まりつつある今年の日本ダービーは、制限付きながら有観客で開催される予定だ。「常にどんなスポーツでもやっぱり感動はライブなんだ。迫力を感じるし、現場なんだよ」と中野は言い切る。現在の消防法により、今は制限がなくても19万人が東京競馬場に入ることはない。それでも32年前の「ナカノ・コール」はファンの脳裏に焼き付いている。当時をほうふつとさせるような観衆、熱狂は戻ってくるのだろうか―。(敬称略)

 ◆中野 栄治(なかの・えいじ)1953年3月31日、東京都生まれ。69歳。美浦・荒木静雄厩舎所属の騎手として71年にデビュー。81年からフリーに変更。JRA通算3670戦370勝。重賞は90年日本ダービーなど16勝。95年に調教師免許を取得し、96年から開業。JRA通算6065戦264勝。重賞は2001年高松宮記念(トロットスター)などG1・2勝を含む7勝。

 ◆アイネスフウジン 1987年4月10日生まれ。北海道・浦河町の中村幸蔵氏の生産。父シーホーク、母テスコパール(父テスコボーイ)。89年10月のデビュー3戦目で初勝利。朝日杯3歳S・G1(現朝日杯FS)を制し、JRA賞最優秀3歳牡馬。90年共同通信杯・G3を制し、その後は日本ダービー制覇を最後に脚部不安で引退(90年JRA賞最優秀4歳牡馬)。通算8戦4勝。2004年に宮城県鳴子町の斎藤牧場で腸捻転のために死んだ。馬主は小林正明氏。獲得賞金は2億4440万9200円。

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