◆第67回有馬記念・G1(12月25日、中山・芝2500メートル)
本紙G1コラム「西川賢のオーナーだけが知っている」を連載中の西川賢オーナー(中山馬主協会会長、日本馬主協会連合会会長)が、第67回有馬記念(25日、中山)で暮れのグランプリ初挑戦となるジャスティンパレスの三木正浩オーナー((株)エービーシー・マート最高顧問)とスペシャル対談。愛馬との出合いやグランプリ出走への経緯、そして“馬主観”まで本音で語り尽くした。(取材・構成=坂本 達洋)
西川賢オーナー(以下、西)「今年はG1馬7頭の豪華メンバーがそろいました。初めて有馬記念に愛馬を出走させるお気持ちから聞かせてください」
三木正浩オーナー(以下、三)「まずは本当にけがなく走ってくれればという思いです。とても強力なメンバーですから、勝つのはなかなか難しいと思います。ただ、そういう場に参加できることがありがたいですよね。私も馬主を始めて実質3年目くらいですから」
西「私は前走の菊花賞を一緒に観戦していましたが、3、4コーナーで包まれても、最後に割って3着まで伸びてきた脚が忘れられないんです。3歳馬の勢いがあるし、絶対にチャンスはあると思いますよ。20年のセレクトセールで1億9000万円で購入された馬で、ここまでの活躍は想像がつきましたか?」
三「いや、全くつきませんでした。ディープインパクト産駒の(実質)最後の世代で、それもあって一頭買いたいと思っていました。菊花賞を勝った馬も、どこかで落とそうと思って、ずっと見ていまして、結局は買えませんでした。パレスは1億数千万になってから競り始めて、落とすことができました。(冠名は)私が仕事でアメリカに行ったりする時、自分のニックネームをジャスティンと付けていたものですから。パレスはパレスルーマーという母親の名前からです」
西「三木さんが狙った馬が、菊花賞の1、3着だったのですね。でも勝ったアスクビクターモアは出てきませんし、2着のボルドグフーシュよりも強いと思います」
三「私の馬も、もともとは日経新春杯を目指そうという話でした。それが外国人騎手が乗れるというので、それだったらチャレンジしようかとなったんです」
西「最近、馬主になられたわけですが、いつ頃から競馬に興味をお持ちだったのですか?」
三「それこそ古くはハイセイコーじゃないですけど、マルゼンスキー、テスコガビーとか、そのへんからずっと見ているものですから。ほぼ馬券は買ったことがありませんが、新聞とテレビはよく見ていました」
西「馬主デビューは19年10月に初出走初勝利を飾った愛馬ジャスティンリーチでしたね」
三「皆さんは、初出走初勝利なんてなかなかない、と言いますが、(セールで)3000万円くらいした馬を買って、勝たないと困っちゃうんじゃないですかくらいの感覚でいましたので、勝つのは当たり前と思っていました(笑い)」
西「馬というものは、商売とは違うと思いますが、これからどんな思いで馬主をやっていきたいとお考えですか」
三「私はもうけたいと思ってやっているわけではなく、本当の意味で楽しみがあればいいと思っています。最初はいい馬を見つければ走ると思っていたんですけど、1年、2年とやっていくうちに、それは難しいなとも感じました。(大レースは)大手牧場のクラブのオンパレードで、ジャパンCも1、2、3着がみんなクラブの馬。いびつなことが多いと思います。繁殖牝馬を持って、当たり外れはあっても、ゆっくり楽しんでいくのがいいのかな、とも感じてしまいますよね」
西「活躍した牝馬はもちろん、活躍しなくても血統がいい馬に、こういう種牡馬をつけたらどんな馬が出てくるのか。これも楽しみですよ。オーナーブリーダーの醍醐(だいご)味と言えます。これからもっと三木さんの愛馬に活躍してもらいたいですし、ぜひジャスティンパレスに有馬記念を勝っていただいて、表彰式でお会いしたいと思っております」
◆三木 正浩(みき・まさひろ)1955年7月26日、三重県生まれ。67歳。85年に靴と衣料の輸入販売商社「株式会社国際貿易商事」を設立し、現在の流通販売大手「ABCマート」まで事業を大きく発展させる。07年に同社会長職を退任して、現在は最高顧問を務める。今年3月には日本ゴルフツアー機構(JGTO)の副会長に就任。米経済誌「フォーブス」(電子版)が発表した2022年の「日本の富豪50人」では13位にランクイン。
◆西川 賢(にしかわ・けん)1948年8月24日、東京都生まれ。74歳。(株)新栄プロダクション社長。63年に山田太郎の芸名で歌手デビュー。65年に代表曲「新聞少年」がヒットし、その年から3年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。68年に馬主となり、08年から中山馬主協会会長を務め、昨年4月に日本馬主協会連合会会長に就任。北海道新ひだか町に生産牧場ウエスタンファームを持つオーナーブリーダーでもある。