2冠馬でG1・4勝のメイショウサムソンが死す 高橋成忠元調教師「『ありがとうございます』と声をかけたいです」

2014年11月に東京競馬場でお披露目されたメイショウサムソンと関係者(左から杉本清氏、武豊騎手、二人おいて高橋成忠元調教師、瀬戸口勉元調教師)
2014年11月に東京競馬場でお披露目されたメイショウサムソンと関係者(左から杉本清氏、武豊騎手、二人おいて高橋成忠元調教師、瀬戸口勉元調教師)

 2006年の皐月賞と日本ダービーを制すなどG1・4勝を挙げたメイショウサムソンが26日朝に心不全で死んだことが引退馬協会から発表された。21歳だった。

2006年の日本ダービー制覇時のメイショウサムソン
2006年の日本ダービー制覇時のメイショウサムソン

 同馬は栗東・瀬戸口勉厩舎所属で05年夏にデビュー。石橋守騎手(現調教師)とのコンビで翌06年のスプリングSで重賞初制覇。続く春クラシック2冠も制した。3冠最終戦の菊花賞では4着に敗れたが、同年の最優秀3歳牡馬に選出された。

 4歳時の07年に瀬戸口厩舎の定年解散に伴って栗東・高橋成忠厩舎に転厩。春の天皇賞を制し、秋には武豊騎手との初コンビで天皇賞・秋を制した。クラシック2冠馬の天皇賞春秋連覇は史上初だった。08年の有馬記念(8着)を最後に引退。通算27戦9勝。重賞は07年大阪杯・G2を含む6勝。

 現役引退後は種牡馬となり、15年アルテミスSなどG3を3勝したデンコウアンジュなど5頭の重賞ウィナーを出した。21年シーズンを最後に種牡馬を引退し、北海道で余生を過ごしていた。

 高橋成忠元調教師「瀬戸口先生から引き継いだのですが皐月賞、ダービーを勝っていた馬だから、しっかり結果を出さないとカッコ悪いと思って、一生懸命にやれるだけのことをやりました。1年目に春と秋の天皇賞を勝って、本当に頑張ってくれました。最後の年には凱旋門賞に連れて行ってくれ、たくさんの思い出があります。素晴らしい馬でした。『ありがとうございます』と声をかけたいです」

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