◆第63回日本ダービー・G1(1996年6月2日、東京競馬場、芝2400メートル、良)
優勝 フサイチコンコルド(藤田伸二騎手、栗東・小林稔厩舎)
2着 ダンスインザダーク(武豊騎手、栗東・橋口弘次郎厩舎)
3着 メイショウジェニエ(河内洋騎手、栗東・高橋直厩舎)
ダービー馬は記録にも、記憶にも残る。対照的に、2着馬は影が薄い。すべてのホースマンの目標である「競馬の祭典」ともなると、2着馬も実力馬ぞろいである。それなのに、である。
特に30年以上も経過した「昭和のダービー」では、その傾向が強い。ただし、例外もある。テレビの画面を通してになってしまうが、初めて見たダービー2着馬はトウショウボーイだった。昭和51年(1976年)、半世紀前に近い出来事になるが、ゴール前は鮮明に覚えている。優勝したクライムカイザーには申し訳ないが、名手・加賀武見が悲願のダービー制覇を成し遂げたレースであり、単勝支持率45%の皐月賞馬トウショウボーイが2着に敗れたレースとして、記憶されているのではないか。
平成に行われたダービーは30回ある。1992年ライスシャワー、1993年ビワハヤヒデは菊花賞で悔しさを晴らし、古馬になって天皇賞を制した。また、2002年シンボリクリスエス、2003年ゼンノロブロイは、ダービーでは栄冠には一歩届かなかったが、年度代表馬の称号を手にしている。前述のハヤヒデもそうだった。2004年ハーツクライは古馬になって、有馬記念でディープインパクトに国内唯一の黒星をつけた。振り返ってみると、晩成タイプが多いように感じる。
平成で一番強かったのではないかと思えるダービー2着馬に、ダンスインザダークを挙げたい。キャリア3戦目、休み明けでダービーを制したフサイチコンコルドが強すぎるのだが、ダンスインザダークがみせた菊花賞での強さをみると、なぜ負けたのかとさえ思える。18年後の2014年にワンアンドオンリーで宿願を果たすことになる橋口弘次郎調教師は「俺と小林稔さんの執念の差だった」と述懐している。
「この馬は元気がないというか、常に活気がないんですよ」。これはダービー優勝後のインタビューで聞いたフサイチコンコルドの小林稔調教師の言葉だ。こんなに景気の悪い勝利者コメントは覚えがない。悩まされていた逆体温(昼より朝の方が体温が高い)の影響で輸送に弱かった。少しでも負担を減らそうと、最善を尽くした。
それまで昼間に行っていた東京競馬場への輸送を深夜に切り替えた。「先生、昼間も深夜も同じですから…」。そうしぶる運送会社を口説き落として、府中へ乗り込んだ。もちろん、効果のほどはわからない。前年、キャリア1戦、ぶっつけ本番で優勝した英国ダービー馬になぞらえて「和製ラムタラ」と言われたコンコルドの能力、藤田伸二騎手の冷静なレース運びが勝利の原動力だが、小林稔調教師のこだわりが、目に見えない後押しにつながったのかもしれない。
「定年まで20年あるから頑張るわ」。東京競馬場の地下通路で寂しそうに笑った橋口調教師の表情が忘れられない。「最高傑作」と断言するダンスインザダークでも勝てなかった。トレーナーにとっても、一国の宰相になることより、ダービーを勝つのは本当に難しい。そのことを証明したレースだった。=敬称略=
(編集委員・吉田 哲也)