今週末で定年引退を迎える調教師を取り上げる連載「ラストタクト」2回目は、90年に騎手としてアイネスフウジンで日本ダービーを制し、96年に開業した中野栄治調教師(70)=美浦=。
たくさんの馬に救われて、多くの人に恵まれたホースマン人生だった。地方の大井で調教師だった父・要(かなめ)さんを師匠と仰ぎ、小学生の頃には自然と騎手の道を志していた。「乗り方はオヤジが見本だね。きれいなフォームだったし、素晴らしい人だった」。念願がかなって71年に中央でデビューして、山あり谷ありで勝ち星を重ねていくなか、89年夏に「どん底」を味わった。
減量苦で乗り鞍が集まらない悪循環のところに、自身の起こした交通事故により1か月の騎乗停止処分を受けた。夏のローカル開催中で閑散とした美浦トレセンに独りでいると、「お前、何やってるんだ」と加藤修甫調教師が救いの手を差し伸べてくれた。そして出会ったのが「僕をダービーに勝たせるために出てきた馬」と、今でも心に刻むアイネスフウジンだった。
デビューから全8戦で唯一、連対を外したのは報知杯弥生賞のみだった。「スピード馬は脚をとられるとトラウマになる」と、あえて不良馬場で外を回して4着に敗れたが、ゴール前で再加速した闘志に手応えをつかめた。大一番のダービーでも向こう正面では馬場の荒れていない外めを通り、逃げ切り勝ち。馬と自分を信じた“道”は、伝説の19万人の「ナカノコール」へ続いていた。
調教師としてはG1馬トロットスターをはじめ、5頭の重賞勝ち馬を送り出した。「一頭一頭のいいところを引き出してあげる」ことをモットーに、好調時に積極的に使っていく流儀で年明けに5勝を挙げるなどラストスパート。ラスト重賞となるオーシャンS(3月2日、中山)にはカイザーメランジェがスタンバイしている。
今後については「人を育てることに関わりたいね」と言い、「これからが第三の人生。人が財産だよ。親に感謝、皆さんのご縁に感謝」と笑った。(坂本 達洋)
◆中野 栄治(なかの・えいじ)1953年3月31日、東京都出身。70歳。美浦・荒木静雄厩舎所属の騎手として71年にデビュー。81年3月からフリーに。JRA通算3670戦370勝。重賞は90年日本ダービー(アイネスフウジン)など16勝。95年に調教師免許を取得し、96年から開業。重賞は01年高松宮記念(トロットスター)などG1・2勝を含む8勝。