藤岡康太騎手の合同葬で父・健一調教師 涙であいさつ「笑顔を絶やさない、かわいい自慢の息子でした」

あいさつをする喪主で藤岡康太騎手の父・藤岡健一調教師(カメラ・岩田 大補)
あいさつをする喪主で藤岡康太騎手の父・藤岡健一調教師(カメラ・岩田 大補)
藤岡康太騎手の祭壇全景(カメラ・岩田 大補)
藤岡康太騎手の祭壇全景(カメラ・岩田 大補)
笑顔を絶やさなかった藤岡康太騎手
笑顔を絶やさなかった藤岡康太騎手

 滋賀県の栗東トレーニングセンターで4月15日、10日に落馬事故で逝去した藤岡康太騎手(享年35)の日本中央競馬会と日本騎手クラブによる合同葬が行われた。祭壇には笑顔の藤岡康騎手の写真が大きく飾られていた。

 東西からたくさんの騎手、調教師、馬主ら関係者が集まり、故人に別れを告げた。葬儀の最後に父で喪主を務めた藤岡健一調教師(63)は肩を落とし、涙ながらにあいさつをした。

 藤岡健一調教師「皆さまご多忙のなか、藤岡康太の葬儀に、こんなにたくさんご参列いただき、誠にありがとうございました。日本中央競馬会、日本騎手クラブの皆さまには、合同葬をこんなに盛大に執り行っていただいたことに関しまして、誠にありがとうございます。康太は4月10日、35歳という短い生涯に別れを告げて、天国に旅立っていきました。思えば子どもの頃から、動物が大好きな子でした。小学校5年生の頃に、兄(佑介騎手)を追うようにトレセンの乗馬苑に行って、土日は馬に乗るのを楽しみに学校生活を送っていました。騎手になりたいということをずっと言っていました。馬が大好きでずっと通っていて、兄が競馬学校に入学してからも、騎手になる、とずっと言っていました。その一方で康太は、子どもの頃から落ち着きがなくてちょろちょろしていた。相談を受けた時も、動物が好きなんだから獣医さんになりなさいと。大好きな犬や馬を助けられると、なかば説得のようなことを言ったこともあります。夢だった騎手になり、こんなにたくさんの友達や、たくさんの方に応援してもらい、大きなレースを勝たせてもらい、本当に幸せな人生だったのかなと思います。騎手になっていなければ、康太の妻にも出会えなかったし、息子にも出会えなかったと思います。奥さんと出会って毎日二人で過ごすようになり、本当に大人になって子どもも産まれ、調教や競馬が終わればまっすぐに家に帰って面倒をみる、いい父親になりました。いつも笑顔を絶やさない、皆に愛されるかわいい自慢の息子でした。康太は旅立ちましたが、生前に賜ったご厚情、入院中にいただいたたくさんの励ましの言葉に厚く御礼申し上げます。結婚して4年の(康太の)妻と、産まれてまだ10か月、たった10か月で父を失った息子は、我々家族が全力で守っていきます。ですが、家族だけではこの悲しみを癒やすことができません。皆さま、二人に対しては、今までと変わらぬご厚情をお願いいたします。競馬場、WINSでの献花、ご記帳、SNS等でのたくさんの励ましを頂戴しました。厚く御礼申し上げます。たくさんの人に見守られ、お花や弔電もたくさん頂戴しました。ファンの皆さまに、ひとつお願いがあります。競馬は、人に感動やたくさんの夢や、たくさんの笑顔を与えてくれる素晴らしいスポーツです。康太が大好きだった馬、康太が大好きだった競馬。生まれ変わっても騎手になりたいと言った競馬を、みんなで愛し、応援していただければありがたいです。康太への思いは尽きません。けれども、競馬はこれからもずっと続きます。皆さんで応援してやってください。本日はありがとうございました」

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