藤岡康太騎手、親族らが病院で回復願うも天国へ 6日に落馬事故・・・意識戻らぬまま

35歳の若さで亡くなった藤岡康太騎手
35歳の若さで亡くなった藤岡康太騎手
ナミュールに騎乗し昨年のマイルCSを勝利
ナミュールに騎乗し昨年のマイルCSを勝利

 JRAは11日、6日の阪神7Rで落馬負傷し、意識不明の状態が続いていた藤岡康太騎手=栗東・フリー=が10日午後7時49分に死去したと発表した。35歳だった。死因は明らかにしていない。同騎手は頭部と胸部の負傷と診断され、病院で治療を受けていた。通夜、葬儀の日程は決まっておらず、JRAは「後日お知らせいたします」としている。多くの関係者に愛されたG1ジョッキーの訃報に、東西トレセンは悲しみに包まれた。

 落馬事故で意識不明の状態が続いていた藤岡康騎手が帰らぬ人となった。くしくも亡くなった10日の午前、兄の藤岡佑が重篤な状況を説明。「本人の頑張りに期待するしかありません。なんとか帰って来られるように、応援していただければと思います」と切実なメッセージを送ったばかりだった。

 悲劇が襲ったのは6日の阪神7R。レース中に騎乗馬が前の馬に触れて、つまずき落馬。後続の馬と接触するような形となり、頭部と胸部を負傷した。緊急搬送された際には、すでに意識がなかった模様。父の藤岡健一調教師ら親族が回復を願い、搬送先の病院で付きっきりで見守る中、息を引き取った。

 祖父が厩務員で、父が調教師。自身も騎手という3代続く競馬一家で育ち、兄の佑介騎手を追うように07年3月デビュー。順調に勝ち星を重ねた。キャリアハイの63勝をマークした昨年には、マイルCSをナミュールで14年半ぶりのG12勝目。当日の乗り替わりでのG1制覇は史上初の快挙だった。先月30日にはJRA通算800勝を達成。「ナミュールでG1を勝たせていただいたことで、みなさんからも注目していただけるきっかけになり、いい流れで今年も年明けから乗れていると感じています」とコメント。今年は先週終了時点で28勝と、昨年を上回るペースでVを量産。事故の翌7日は、父が管理するエトヴプレで桜花賞へ出走する予定だった。

 いつも明るく、人懐っこいキャラクターで先輩、後輩を問わず騎手仲間らに愛された。フェアプレー賞は10、12、17、19年の計4度受賞。高い騎乗技術は多くの関係者から信頼を得ていた。昨年6月に第一子が生まれたばかりで、子煩悩な一面も見せていたG1ジョッキー。35歳とまだまだ活躍できる若さで天国へ旅立った。

先月30日にはJRA通算800勝を達成
先月30日にはJRA通算800勝を達成
デビュー直前の藤岡康太騎手(右)(左から大下・現助手、荻野琢、田中、浜中)
デビュー直前の藤岡康太騎手(右)(左から大下・現助手、荻野琢、田中、浜中)

 ◆藤岡 康太(ふじおか・こうた)1988年12月19日、滋賀県生まれ。35歳。04年に競馬学校の騎手課程23期生として入学。同期に浜中俊、丸田恭介らがいる。07年3月に栗東・宮徹厩舎からデビューし、3月3日の中京1Rでヤマニンプロローグで初騎乗初勝利。JRA通算10759戦803勝。09年NHKマイルC(ジョーカプチーノ)、23年マイルCS(ナミュール)のG12勝を含む、重賞22勝を挙げた。169センチ、50キロ。血液型はAB。兄は佑介騎手、父は健一調教師。

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