サクラローレル死す 29歳老衰で 小島太・元調教師「一言で言うとすごい馬」

1996年の第41回有馬記念で優勝したサクラローレル(横山典弘騎手)
1996年の第41回有馬記念で優勝したサクラローレル(横山典弘騎手)

 1996年の天皇賞・春、有馬記念のG1・2勝を含む重賞5勝を挙げ、同年の年度代表馬に選ばれたサクラローレルが1月24日、けい養されていた北海道新ひだか町・新和牧場で老衰のために死んだ。29歳だった。

 同馬は父レインボウクウェスト、母ローラローラ(父サンシリアン)の血統で、1994年1月に境勝太郎厩舎から中山でデビュー。小島太騎手とのコンビでダート1400メートル(東京)の3戦目で初勝利を挙げ、2勝目を同じくダートで飾ったあと、青葉賞では3着、秋のセントライト記念は8着でクラシックには参戦できず。3歳秋から力をつけ、95年1月の金杯(中山)で重賞初勝利。続く目黒記念2着のあと、天皇賞・春を目指しての調整中に両前を骨折する重傷で戦線を離脱した。

 1年を超える休養後、調教師に転じた小島太に代わって、横山典弘とのコンビで復帰戦の中山記念を制すると、続く96年の天皇賞・春でナリタブライアン(2着)、マヤノトップガン(5着)を撃破してG1初制覇。秋は天皇賞で3着のあと、有馬記念でマーベラスサンデー(2着)以下を圧倒して2度目のG1勝利を挙げ、同年の年度代表馬に選出された。

 97年2月末で引退した境勝太郎調教師のあとを受けた小島太調教師の下に転厩。初戦の天皇賞・春はマヤノトップガンの2着に敗れて連覇を逃した。秋には父レインボウクウェストが制した凱旋門賞制覇を目指して渡仏したが、前哨戦のフォワ賞で故障を発生して引退を余儀なくされた。翌年から種牡馬生活に入り、ローマンエンパイア(京成杯)、サクラセンチュリー(日経新春杯など重賞3勝)などを輩出。2012年に種牡馬を引退し、余生を過ごしていた。

 小島太元調教師「デビューの時から才能は感じていました。一言で言うとすごい馬としか言いようがない。ケガが多かったけど、古馬になってから能力をいかんなく発揮してくれた。ヨーロッパの馬場でも通用すると思って凱旋門賞を目指し、自分が開業して初めて海外に連れて行った馬。ジョッキーとしても戦い、調教師としても管理した馬で、思い出深い馬ですね。何より皮膚がきれいで、かっこいい馬でした。ご冥福を祈っています」

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