【有馬記念 G1ファンファーレ物語2】レース直前に曲を流すのは日本特有の文化

ファンファーレが存在しない海外競馬の光景
ファンファーレが存在しない海外競馬の光景

◆第66回有馬記念・G1(12月26日・芝2500メートル、中山競馬場)

 毎日王冠のファンファーレをG1用にする―。レースまで3日しかない。JRA映像企画課の杉江昭憲たちに、多くの時間が残されているわけではなかった。「東京競馬場をはじめ、手分けして関連各所の了承を得なければなりませんでした」。

 現在、JRAは21のファンファーレを使用している。それはファンへのアピールだけではない。「流れることで、どの競馬場の、どんなレースだと理解してもらうためにある。むやみに変更するものではないと認識しています」。変更はごくまれなのだ。それでも決断は間違っていなかった。事前の広報発表がないことも、サプライズ感を生んだ。「JRAにしては粋なことをした」。SNSを中心にファンの反応は前向きだった。

 そもそもファンファーレは、いつから使われているのか。1960年前後から使用されていたと言われているが、JRAにも明確な記録はない。海外の主要レースの馬券が発売される時代だが、フランスの凱旋門賞、アメリカのビッグレースでレース直前に曲を流す風習はない。「例えばケンタッキーダービーでは、馬場入場時にマイ・オールド・ケンタッキーホームが流れますが、レース前に流れませんね」と杉江は言う。日本特有の文化なのだ。

 JRAのファンファーレが現在の形になったのは、1980年代後半だった。すぎやまこういちが東京、中山の関東競馬場で使用する曲を依頼されたのは86年。当時、日本中央競馬会は「イメージアップ推進委員会」を設置。87年には公式名称とは別にJRAという略称、同時に場外馬券発売所をWINSという愛称で統一した。88年には「GREEN SPIRIT」のスローガンのもとCMに俳優の小林薫を起用した。

 時代の寵児・武豊の登場、芦毛の怪物オグリキャップ…。すべての歯車がかみ合い、空前の競馬ブームが巻き起こるなか、「すぎやまファンファーレ」は根付いて、ビッグレースでは生演奏が恒例となった。長年に渡って、そんなG1ファンファーレと向き合ってきた人たちがいた。=つづく=(敬称略 編集委員・吉田哲也)

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