◆第15回ヴィクトリアマイル・G1(5月17日・芝1600メートル、東京競馬場)
異色の逆輸入経歴を持つ喜多助手がG1取りを目指す。ヴィクトリアマイルに担当するスカーレットカラーが出走。高橋亮厩舎を13年の開業から支えてきた33歳は「(高橋亮先生は)意見を聞いてくれて、何でも話せる。先生の馬でG1を勝ちたい」と決意を口にした。
初めて馬に乗ったのが中学3年生の遅咲き。乗馬に夢中になり騎手を志したが、競馬学校の試験で体重制限をクリアできなかった。「不合格になったあとの弁当がおいしすぎて、悔しいよりも吹っ切れた」と減量に苦しんだ。夢を諦めかけたが、高校1年時に02年の中山大障害を制したロケット騎手に「ニュージーランド(NZ)は体重制限も厳しくない」と後押しされた。障害馬術の大会に偶然、訪れていたNZの名手との出会いから海を渡った。
現地での修業中に人生の転機が訪れた。名門マーク・ウォーカー厩舎で牝馬のシコバの調教を任された。「ビビリの馬で、一緒に町を歩いたりして慣れていった。馬が強くなっていくのを見るのが楽しかった。大きなレースを勝って記念品をもらった時はうれしかった」と重賞ウィナーにまで成長。騎手よりも馬づくりに思いが傾いた。「騎手として1勝するまで帰れない」と意地で騎手免許を取得。初勝利を挙げてすぐに、日本で調教助手になることを決意した。
23歳で栗東トレセン入り。最初は騎手時代に「仕事人」の異名を取った田島良調教師の下で、日本の調教を勉強した。かつて夢だった騎手ではないが、「NZに行って本当にやりたいことが分かった。本当に人に恵まれている。今の仕事は天職です」と充実した表情。念願のG1Vに向けて闘志を燃やす。(牟禮 聡志)
<サッカー・家長と幼なじみ>
○…喜多助手は川崎フロンターレの元日本代表・家長昭博と幼なじみ。小学生時代はともにサッカークラブの長岡京SSに所属して全国大会も経験した。「(家長は)本当にうまくて、小学校6年生にしてプロになる夢は諦めましたね(笑い)」と喜多助手。中学入学後もサッカーは続けたが、徐々に乗馬へと傾いていった。今でもG1前には連絡がくる仲良し。家長がいたからこそ、競馬の道に進めたかもしれない。
◆喜多 亮介(きた・りょうすけ)1986年10月16日、京都府生まれ。33歳。05年にニュージーランドで騎手免許取得。10年から栗東・田島良保厩舎で調教助手に。13年9月から高橋亮厩舎へ異動。小学校6年時にナリタトップロードのきさらぎ賞を見て競馬にはまる。