◆第167回天皇賞(春)・G1(4月30日、京都競馬場・芝3200メートル)
1992年は「空前の大記録」がかかっているのに、そっちのけでメディアは盛り上がった。
「マックVSテイオー 世紀の対決」
「マックVSテイオー 夢の競演」
そんな見出しが乱立したが、あくまで“主役”はテイオーであり、メジロマックイーンは“準主役”扱いだった。
それほどまでに大阪杯で見せたトウカイテイオーの勝ちっぷりに、だれもがしびれた。日本ダービー以来、約10か月ぶり、当時G2とはいえ復帰戦を馬なりで楽勝した7戦無敗の2冠馬である。冷静沈着が代名詞の名手・岡部幸雄が「(シンボリ)ルドルフの子供で天皇賞を目指す。今でも半分夢じゃないかなと思うくらい」と言った。
凡人は大切なことに気付かない。レース後、この男こそが一番、冷静だったと思い知らされた。武豊だった。「マックイーンにはテイオーにはないキャリアがあります」そう、菊花賞と前年の天皇賞・春。そして3000メートルの阪神大賞典では、カミノクレッセの南井克巳をガックリさせるほどの強さで、大一番を迎えていた。最強のステイヤーという自負があった。
前年秋に天皇賞で1位入線から無念の18着降着。ジャパンC、有馬記念でも黒星を喫した。雪辱に燃えながら、武豊はマックイーンの力を引き出すことだけに集中した。「強がるわけじゃなく、意識はしませんでした」。テイオーが視界に入ったのは2周目3コーナー手前の一度だけだった。武豊、春の盾4連覇達成―。「空前の大記録」は最強のライバル撃破の先にあった。(編集委員・吉田 哲也)
◆92年の春の盾VTR トウカイテイオーが単勝1.5倍で、メジロマックイーンが単勝2.2倍。3番人気のイブキマイカグラが単勝18.2倍で、「2強」への支持が圧倒的だった。勝負どころでは2頭ともに一気に位置を押し上げたが、最後まで加速を続けたマックイーンに対し、トウカイテイオーは直線で失速。5着まで沈み、明暗が分かれた。