先週で終了した北海道シリーズ。早朝から始まる競馬場での調教には、常に荻野琢真騎手=栗東・フリー=の姿があった。関東も含む数多くの厩舎から信頼の厚い仕事人。例年、見慣れた光景だが、ある「変化」が去年から生まれていた。「以前よりも一頭一頭に時間を取って、丁寧に自分なりのコンタクトを考えているんです」。
数多くの調教騎乗で顔を売ることも大事だが、「量より質」への意識転換。きっかけは東京オリンピックにも出場したJRA所属の北原広之さんが監修する「ドレッサージュホースに育てよう」や「競馬術通信」などを読み、本格的に馬術への興味を持ったことだった。「馬術と競馬の要素の2つの合わせられる部分を意識しています。1頭に接することで、馬が良くなっていく過程を感じるのは面白い。ただ、騎手ですから『自分で結果を出すつもりで』というところは忘れずに、ですね」。馬に寄り添い、深まる理解。今年でデビュー18年目になるが、まだアップデートを続けている。
この1年で様々なことがあった。4月には同期の藤岡康太さんが落馬事故で天国へ旅立った。学校時代から仲が良く、互いに独身時代が長く、結婚後も家族ぐるみで付き合いのあった「同期でも一番近い」間柄。「結婚も向こうがちょっと先にしているし、人生のいい先輩みたいな感じでした。今後も同期でサポートしていきたい。いずれ、(康太さんの)子供さんにはお父さんがすごかったんだぞとしっかり伝えたいですね」。北海道へ旅立つ前、子供の1歳の誕生日祝いも行った。関係はもちろん、今後も続いていく。
昨年11月にはボウリングのインストラクターだった女性と結婚した。「帰ってから、家に誰かがいるというのはオンとオフの切り替えがしやすい。ありがたいですね」。今年5月にゲート内で右足を挟まれ、最も骨に近い中間広筋の損傷で長期離脱を覚悟した。「奥さんも心配したと思います。その時に車の免許を取ろうとしてくれました」。結果的に1か月で復帰できたが、うれしかった心遣い。今は守るべき人、そして支えてくれる人がいる。
今年は4勝。日々の調教から携わってきたネッケツシャチョウで2勝(2月25日阪神、4月27日東京)を挙げた。康太さんが亡くなった後で、未勝利では珍しく右の拳を握り締めた4月21日(京都)のデルマアートマン。そして8月25日(札幌)にケガから復帰後の初勝利は、デビュー時から所属していた大久保厩舎のチュウワダンス。ひとつひとつの勝利に強い思いが宿っている。「公私ともに充実していると思います」。デビューの頃から取材させてもらっているが、周りを温かくするような明るい表情は全く変わらない。今後も成長していく姿を見守っていきたい。(中央競馬担当・山本 武志)