【ザ・馬術】東京五輪「馬のフィギュアスケート・馬場馬術」美人ライダーが魅力語った

高田茉莉亜は馬場馬術の普及のため、選手と広報の二刀流で活躍中
高田茉莉亜は馬場馬術の普及のため、選手と広報の二刀流で活躍中

 東京五輪へ向けた馬トク報知の馬術企画、今回は“馬のフィギュアスケート”とも言われる「馬場馬術」に注目。選手として技術を磨くとともに、馬術普及のため広報の役割もこなす美人ライダー、高田茉莉亜(25)が、自身の競技人生と馬場馬術の魅力を伝える。

 高田茉莉亜が戦う「馬場馬術」は、ダイナミックな飛越で魅了する「障害馬術」、複数種目をこなす「総合馬術」と比較すると、“映えない”かもしれない。「簡単に言えば、フィギュアスケートのようなもの。規定と自由があり、自由では音楽に合わせて人馬一体となって、決められた演技を伸びやかに披露します。音と馬のマッチングに注目してほしいですね」。舞台は20メートル×60メートルの長方形の馬場。規定は全人馬が同じ運動をこなし、自由はフィギュアスケートと同様、決められた複数の演技を取り入れたプログラムを構成し、その正確性と美しさを競う。

 高田は今、馬術大国のドイツで技術を磨くとともに、日本馬術連盟アンバサダーライダーとして、馬術の広報活動に従事している。7月には東京五輪の競技会場となる馬事公苑で開かれたイベントで演技を披露。「きれいな馬場で驚きました。ここにドイツで一緒に戦っている一流選手がやってきて、戦うと考えるだけで、わくわくしますね」。1年後の盛り上がりを描きながら、選手と広報、2つの顔をのぞかせた。

 馬術経験者の母に連れられて、小学3年の時に千葉の乗馬クラブへ。幼い頃は新体操や水泳、スキーと複数のスポーツに取り組んだが、馬術は特別だった。「優勝したら、ロゼットリボンというリボンをもらえたんです。それがうれしくて、続けましたね」。中学3年のとき、ある大会に敗れ、高田の負けん気に火が付いた。「予選を1位で通過したので、勝てると思ったんです。それでも負けちゃって。余計に悔しくて」。以来、多くの時間を馬術に捧げてきた。

 アンバサダーには17年に就任。大学卒業後の拠点であるドイツから帰国し、馬術のPRやイベント出演など、一般になじみの薄い馬術の普及に努めている。「競馬は、実はすごく利にかなっているんです。馬は本来前にしか進まない動物なので、速く走らせて競うのが競馬」と説明する一方、「馬術は人がまたがって、曲に合わせ、馬が自ら踊っているように演技をする。後ろに下がったり、横歩きしたり。馬ってこんな動きできるんだってところを見てほしい」。

 掲げる目標は「生涯現役」。慶大の先輩で、71歳でロンドン五輪に出場した法華津(ほけつ)寛が憧れの存在だ。「男女が混合で、動物と一緒に出られる五輪種目はこれしかありません」。美しく、たくましい25歳が大舞台を夢に踊り続ける。(松浦 拓馬)

 ◆高田 茉莉亜(たかだ・まりあ)1994年8月21日、東京都生まれ。25歳。10~11年ジュニアライダー馬場馬術選手権優勝、13~16年ヤングライダー馬場馬術選手権優勝。慶大商学部卒業後、現在はドイツ・アイリッシュアラン乗馬学校所属。好きな言葉は慶応義塾の塾長だった小泉信三氏の「練習ハ不可能ヲ可能ニス」。163センチ、52キロ。血液型O。

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