ダンスインザダーク死す、96年武豊と菊花賞制覇 種牡馬でもG1馬輩出

96年の菊花賞を制したダンスインザダークと武豊
96年の菊花賞を制したダンスインザダークと武豊

 1996年の菊花賞馬ダンスインザダークが、2日に、功労馬としてけい養されていた北海道安平町の社台スタリオンステーションで死んでいたことが4日、分かった。老衰のため起立不能となったもので、27歳だった。

 ダンスインザダークは95年12月のデビュー前から、同年のオークス馬ダンスパートナーの全弟として、注目を集めていた。6月5日の遅生まれだったが、ロイヤルタッチ、イシノサンデーなどとしのぎをけずりながら、成長を遂げる姿に周囲の期待は高まるばかり。翌96年3月の報知杯弥生賞で重賞初制覇を果たした後は、クラシック戦線の主役と言われた。

 しかし、春は苦闘の連続だった。皐月賞はレースの週に発熱して、まさかの回避。日本ダービーは1番人気に支持されての出走だったが、ゴール前でデビュー3戦目だったフサイチコンコルドの強襲を受けて、首差の2着。橋口弘次郎調教師にダービー制覇を届けることができなかった。

 秋は京都新聞杯を快勝後、菊花賞に参戦。直線では馬群を縫うように後方一気の末脚で突き抜け、G1初タイトルを手にした。デビューから手綱を執り続けた武豊が珍しく馬上で喜びを爆発させるシーンが印象的だった。このレースで同年の最優秀3歳牡馬に選ばれることとなるが、菊花賞後に左前脚の屈けん炎を発症して電撃引退。1年にも満たない競走馬生活は突然、幕を閉じた。

 引退後は種牡馬として活躍した。特に自身が制した菊花賞ではザッツザプレンティ(03年)、デルタブルース(04年)、スリーロールス(09年)と3頭の勝ち馬を輩出。2017年に種牡馬を引退するまで、長く日本競馬に携わってきた名馬だった。

 ◆ダンスインザダーク 1993年6月5日生まれの鹿毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母ダンシングキイ(父ニジンスキー)。北海道千歳市・社台ファームの生産。通算成績8戦5勝。総収得賞金は3億7955万1000円。引退後は北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬入り。産駒はJRAで重賞48勝(うちG1・4勝)を含む1107勝。

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