【大阪杯 距離の壁<3>】3冠馬ナリタブライアン出走に賛否両論も…間違いなく盛り上がった

天皇賞・春で2着に終わったナリタブライアン(左)は次走で2000メートルの距離短縮に挑んだ 
天皇賞・春で2着に終わったナリタブライアン(左)は次走で2000メートルの距離短縮に挑んだ 

◆第65回大阪杯・G1(4月4日、阪神競馬場・芝2000メートル)

 開催2週前の時点で締め切られるG1レースの登録。1996年5月5日、高松宮杯(98年から高松宮記念)の登録馬にナリタブライアンの名前があった。「登録しないことには出走できないから。あとは、あなた方で判断して」。慌てた報道関係に対し、大久保正陽調教師はさらりとかわした。

 この年からJRAは春のスプリント王を決めるレースとして、中京・2000メートルで開催していた伝統の高松宮杯を、1200メートルのG1にモデルチェンジした。その記念すべき“第1回”だった。

 94年、3冠と有馬記念を制したスーパーホースも、翌95年は股関節炎など故障に悩まされ、白星は阪神大賞典のみ。迎えた96年、阪神大賞典でマヤノトップガンとの一騎打ちを制したが、春の天皇賞ではサクラローレルの強烈な末脚の前に2着に終わっていた。

 7月開催だった宝塚記念までレース間隔があるため、「もう1走」を模索していた大久保正陽調教師は高松宮杯を選択した。天皇賞からの参戦に賛否両論があったが、当日は7万4201人が詰めかける中京競馬場の入場人員レコード。間違いなく盛り上がった。

 直線半ば、ブライアンが馬群から抜け出した時、フラワーパークは後続を突き放していた。スペシャリストに敗れ去ったブライアンは4着。結果的にこれが現役最後の一戦になった。(編集委員・吉田 哲也)

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