【エリザベス女王杯】泉一郎オーナー盟友のため ルメール騎手とイズジョーノキセキで勝つ 岩田康誠騎手と有馬記念へ

府中牝馬Sを制して勇躍、2度目のG1挑戦を迎えるイズジョーノキセキ
府中牝馬Sを制して勇躍、2度目のG1挑戦を迎えるイズジョーノキセキ

◆第47回エリザベス女王杯・G1(11月13日、阪神・芝2200メートル)

 第47回エリザベス女王杯(13日、阪神)で昨年5着の雪辱を期すイズジョーノキセキの泉一郎オーナー(67)は、岩田康誠騎手(48)=栗東・フリー=とのタッグで10月の府中牝馬Sを制し、重賞初タイトルを獲得した。今回も継続騎乗でG1に挑む予定だったが、岩田康の騎乗停止で見送り。しかし有馬記念での再登板へ向け、園田競馬在籍時からの盟友を鼓舞したという。今回は鞍上にルメールを起用。その胸の内を、ヤマタケ(山本武志)記者が聞いた。

 今も熱い記憶がよみがえる。泉一郎オーナーにとって、イズジョーノキセキの府中牝馬Sは待望の重賞初Vだった。

 「府中であまりの人気のなさにほほ笑んでいました。6番枠もちょうどいい枠でした。一緒に見ていた馬主さんにいきなりグータッチをされたけど、一瞬で抜き去ったので、大丈夫か?と。スローVTRを見て、抜いていると分かりました」

固い絆で結ばれた岩田康(左)と泉オーナー
固い絆で結ばれた岩田康(左)と泉オーナー

 馬上には岩田康。園田所属の若手騎手時代から高い素質と真っすぐな人間性にほれ込んできた。中央の馬主になって採用した白地に青タスキの勝負服は、岩田康が地方時代に着ていたデザインと同じだ。

 「JRAの騎手試験に合格した06年の冬に夫婦であいさつに来たんです。『お祝いは何にしよう』と聞くと、『お願いがあります。この勝負服をなくしたくないんで、できれば勝負服を替えてくれませんか』と。二つ返事でOKしました。2人とも園田から中央に移った馬主とジョッキー。いつか2人で重賞を取ろうな、とスタートしたんです。16年かかりました」

 小学生の頃からサラリーマンだった父の影響で競馬に興味を持ち、一頭の名馬に魅せられた。

 「ヒカルイマイです。母系にサラ系が入って純血なサラブレッドではなく、あばらも1本なかった。老舗の企業の息子でもない自分にオーバーラップするというか、成り上がりが大好きなんです。一番下からてっぺんを取る。馬主としても何億円もの馬は買えないから、日高の馬で勝負というのがポリシーです」

 同じように成り上がりを目指してきた岩田康と臨むはずだったG1の舞台は、盟友の騎乗停止で幻となった。

 「競馬(天皇賞・秋)が終わってすぐに電話がありました。その時、言ったんです。『これ(エリザベス女王杯)を使ったら有馬に行くから、空けとけよ』と。この馬は6歳の春には繁殖馬にさせたいと思っています。恐らくラストシーズンになるので、今回の内容次第になりますが、行ければ有馬記念(12月25日、中山)に行きたい。もちろん、岩田康誠で」

 格上挑戦だった昨年は落鉄や不利がありながらも5着。今回は牝馬でJRA史上最多のG1・24勝を挙げるルメールに手綱を託す。

 「ルメールは好位からそつなく外へ持ち出すイメージがあるから、外から伸びてくる競馬を思い描いています。岩田君の悔しさも背中に乗せて頑張ってほしい。まずは無事に回ってきてほしいですが、イメージはできていますよ」

 年末に夢の続きを描くため、ここで2年越しの悲願をかなえる。(山本 武志)

 ◆泉 一郎(いずみ・いちろう)1955年8月31日、香川県生まれ。67歳。龍谷大を卒業後、会社勤務を経て、85年に不動産会社「ハウスプラザ」を設立。代表取締役を務める。04年に「昴ホースクラブ」名義で組合馬主としての資格を取り、10年に個人名義に切り替えた。地方競馬にも馬主資格を持ち、現在は兵庫県馬主協会の常務理事。

 ◆ヒカルイマイ 1970年にデビューし、71年の皐月賞と日本ダービーを制した2冠馬。生産者が競走馬専門の牧場ではなく農家という異例の出自で、母系に血統不詳の牝馬がいたため、純粋なサラブレッドではない「サラブレッド系種(サラ系)」に分類された。秋は京都新聞杯9着後に屈腱炎を発症し、菊花賞を断念して引退した。15戦7勝。

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