◆第68回有馬記念・G1(12月24日、中山競馬場・芝2500メートル)
有馬記念(24日、中山)でラストランを迎えるタイトルホルダーの山田弘オーナーと、本紙でG1コラム「オーナーだけが知っている」を連載中の西川賢オーナーの対談が実現した。
西川賢オーナー(以下、西)「有馬記念でタイトルホルダー号がラストランとなります。大一番に向けた今のお気持ちはいかがでしょう」
山田弘オーナー(以下、山)「いざ終わってみないと分からないんですが、いわゆる“タイトルホルダーロス”というんですかね。やはりずっとG1レースを使ってきましたから、やはり自分なりの緊張感、楽しいようなつらいような3年間だったという思いがこみ上げてきますね」
西「今年限りの引退を決められたのはいつ頃でしょうか」
山「ご存じの通り去年の凱旋門賞の後、体調に心配があったものですから、この秋は無理をしないでと考えました。例えばブリーダーズCや香港などいろいろな選択肢はあったと思いますが、国内に専念して、ジャパンCと有馬記念、これでラストラン、というのは春の段階で予定はしていました」
西「なるほど。ドゥラメンテの後継種牡馬になる期待は大きいと思いますが、シンジケートなどについては」
山「一応その予定はしております。菊花賞を勝つ前にドゥラメンテが(9歳で)亡くなって、あれで一気に種牡馬にという意識をするようになりました。だからこそ、無駄な使い方はできないなと思いました」
西「“テン良し、なか良し、しまい良し”というのはタイトルホルダーのことを言うのだと思いますし、種牡馬としては先行して活躍した馬の子はスピードがありますからね。母系はヨーロッパ系で重たそうでも、これだけのスピードを持っている馬だから後継として大いに期待されますね。日高の馬産地を盛り上げてほしいですよ」
山「日高の期待がすごく高いというのは感じます。距離がどうなのかなと不安視されていたなかで、去年の宝塚記念をレコードを叩き出して勝てたでしょう。あれで一気に日高の馬産地の皆さんから『種牡馬になったら頼むよ!』なんていう声をかけてもらうようになったのでビックリしました」
西「山田さんにとって、一番の思い出のレースはどれですか」
山「会長もお分かりいただけると思いますが、やはり私ら世代の人間は天皇賞。天皇盾への憧れの気持ちは何とも言えないものでしたからね。天皇盾を白い手袋をして頂いた時は、もうさすがに体が震えました」
西「そうですよね。そして今年こそ有馬記念を勝って、最後を飾りたいですよね」
山「おととしは大外枠を引きまして、よし次こそは、と思ったら去年は7枠でした。この馬の脚質を考えたら内枠がいいので、今年は何とか…。そこが非常に重要なポイントになるのではと思います」
西「やはり内の2枠か3枠あたりですよね。レース当日には引退式も行われますが、暮れの大一番が終わってもファンは最後まで帰らないと思いますよ」
山「本当にありがたいことですよね。私も初めての経験なので、どんな引退式になるのか楽しみで、今から胸がキューンとしています(笑い)。とにかく無事に引退式も終えて、生まれ故郷の日高に帰っていってほしいです」
西「自分のペースでスローに持ち込み、また2周目の3コーナーでバーッと突き放して、そのままゴールというのが理想ですよね」
山「競馬場でもファンの方から声をかけていただいたりするのですが、個人の馬主さんの個性ある馬が出てきてほしい―。そういった思いの応援をいただいているのではと感じていますので、とにかく頑張りたいと思っております」(取材・構成=坂本 達洋)
◆山田 弘(やまだ・ひろし)1946年7月21日、東京都生まれ。77歳。不動産業を営む。祖父の影響で競馬ファンとなり、88年に馬主資格を取得。15年日本テレビ盃・交流G2をサウンドトゥルーで制して重賞初制覇。同馬で臨んだ同年の東京大賞典(大井)でG1初V、16年チャンピオンズCでJRA・G1初勝利を挙げた。タイトルホルダーは昨年の宝塚記念などG1・3勝を含む重賞6勝。
◆西川 賢(にしかわ・けん)1948年8月24日、東京都生まれ。75歳。(株)新栄プロダクション社長。63年に山田太郎の芸名で歌手デビュー。65年に代表曲「新聞少年」がヒットし、同年から3年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。68年に馬主資格を取得。08年から中山馬主協会会長を務め、21年4月に日本馬主協会連合会会長に就任した。北海道新ひだか町に生産牧場ウエスタンファームを持つオーナーブリーダーでもある。