◆第72回中京記念・G3(7月21日、小倉競馬場・芝1800メートル)
サマーマイルシリーズ第2戦、第72回中京記念・G3(芝1800メートル)は21日、小倉競馬場で行われる。兵庫競馬への復帰を目指している小牧太騎手(56)=栗東・フリー=は、ワールドリバイバルで参戦。地方競馬騎手免許試験の合格者発表を19日に控える大ベテランは、JRA所属としての“ラスト重賞”へ「感謝の気持ちを持って精いっぱい、乗りたい」と思いを語った。
ジョッキー人生の第3章へ。04年にJRAに移籍して21年目。小牧太は19日に地方騎手免許試験の合格者発表を控える。突破すれば8月1日付で古巣の兵庫所属となり、中京記念がある21日がJRA騎手としての最終騎乗日となる。56歳で異例の決断、史上初の地方復帰は悩み抜いた末に選んだ道だった。
「ここ4、5年、騎乗数が減って引退を考えた。朝早いのが得意で、次の仕事にやってみたかったのが鮮魚店か銭湯。マスコミ関係の仕事も聞いたりした。でも、まだ乗れる自信はある。ここでやめると悔いが残るし、見返したい思いがあった。失うものは何もない。今年に入って、もう一度、地方に挑戦したいと思い始めた。3月28日に園田で重賞を含めて2勝して、まだまだ大丈夫と感じた。4月11日に園田で(一日の上限)8鞍全部に乗っても体力の問題はなく、これなら戦えると思って復帰を決めた」
節目の日は、中京記念でワールドリバイバルの手綱を執る。JRA重賞は一昨年の富士S以来、1年9か月ぶりだ。
「騎手時代から友達の牧田調教師に『最後だから重賞に乗せて』とお願いしたらOKが出た。小倉は走る馬(3戦〈3〉《1》〈2〉着)。競馬は何が起こるか分からない。勝ったら出来すぎだけど『やめるのをやめます!』と言ってみたいよね(笑い)」
JRAの騎乗で一番印象に残るレースは、G1初勝利となった08年桜花賞。12番人気のレジネッタで鮮やかに差し切った。
「最初はすぐにG1を勝てると思っていたけど、そうはいかず勝てないかも…という気持ちになっていた時だった。まさか勝てるとは思っていなかった。移籍5年目にG1を勝って生き返った」
地方、海外からの移籍が珍しかった時代。当初は周囲に受け入れてもらえず孤独との戦いだった。そんな時に手をさしのべたのが橋口弘次郎元調教師。910勝のうちコンビで164勝、重賞16勝を挙げた。
「地方から初めて移籍してきたアンカツさん(安藤勝己元騎手)の後だったので、プレッシャーがすごかった。周囲とうまくいかず、独りぼっちでつらい時に声をかけてくれた」
09年朝日杯FS(当時は中山)をローズキングダムで制覇。だが、翌年の日本ダービー(2着)は騎乗停止期間中で乗ることができなかった。
「3冠を取れると思うほどの馬だった。朝日杯の時も橋口先生に『何でそんなに自信があるの?』と言われた。橋口先生がまだダービーを勝っていない頃で、勝利を贈りたかったから、乗れなかったのは一番ショックで悔しかった。(代役の)後藤(浩輝)騎手が美浦から調教に乗りに来て一生懸命、教えた。レースは田舎で見て、勝ちそうになった時は声が出なかった。自分が乗ったら勝っていたと思ったりもした。ダービーはすごいレース。スマイルジャックで2着(08年)もあるけど、勝っていたら、また違う人生があったかも」
“ラストデー”の小倉には家族、多くの友人、恩人が駆けつける。
「JRAの騎手ではなくなるが、終わりではない。やり残したこともあるけど、よく踏ん張ってきたと思う。60歳まで乗りたい。二次試験の面接で『兵庫の真のレジェンドになりたい。恩返しをしたい』と言った。納得したらバサッとやめる。今週末は『感謝』の気持ちを持って精いっぱい、頑張りたい」
支えてくれた全ての人に魂の騎乗を見せ、次のステージへと向かう。(内尾 篤嗣)
◆小牧 太(こまき・ふとし)1967年9月7日、鹿児島県出身。56歳。85年に兵庫・曽和直栄厩舎所属で騎手デビュー。兵庫リーディング10回、94年と96年に地方全国リーディングを獲得。2004年にJRA移籍。地方通算3440勝、JRA910勝。重賞は地方で52勝、JRAでG1・2勝を含む34勝。弟は兵庫の毅調教師。長男はJRA騎手の加矢太。趣味はホットヨガ。160センチ、52キロ。血液型O。