真夏のスーパーG2・札幌記念を現地取材した馬トクスタッフが、思い出の年を振り返る。
2005年の札幌記念に出走した牝馬3頭はすべて連闘。00年に秋の中山から夏の札幌に開催変更、札幌記念の前週に行われていたクイーンSから、いずれも予定のローテーションだった。
そのうちの1頭がヘヴンリーロマンス。10番人気で2着に激走したクイーンSの翌週、取材に向かうと、担当の丸内助手は「人気なさ過ぎ」と笑った。5歳を迎えた05年は4戦すべて着外、それも直前3戦は2ケタ着順だったが、リフレッシュ放牧の効果で急激に復調。「間隔を詰めて使ったほうがいい。一度使っていい時の兆候が出てきた」との好感触に、前週の無印から一転、◎を打った。
結果は接戦を制して04年阪神牝馬S以来の重賞2勝目。この牡馬相手のG2勝利が天皇賞・秋挑戦につながり、戦後初の天覧競馬での松永幹夫騎手の最敬礼へ。さらに引退後、繁殖牝馬として生んだうちの1頭がラニ。同馬は16年、日本調教馬で初めて米国3冠レースにフル参戦(〈9〉〈5〉〈3〉着)。その活躍も受けて、翌年にはJRAでのケンタッキーダービー出走馬選定競走が始まっている。
その勝利に立ち会って19年。私にいまだ残るのは、入念に取材したファストタテヤマと、藤沢和厩舎3頭使いのコイントスの2、3着馬を無印にして、当時の3連単重賞最高配当(275万9500円)を逃した後悔で…。(中野 達哉)