92年桜花賞などG1・3勝のニシノフラワー天国へ 31歳老衰に河内調教師「大往生やね」

92年の桜花賞を制したニシノフラワー(馬上は河内)
92年の桜花賞を制したニシノフラワー(馬上は河内)

 91年の阪神3歳牝馬S、92年の桜花賞、スプリンターズSとG1を3勝したニシノフラワー(牝、父マジェスティックライト、母デュプリシト)が5日、老衰のため北海道日高町の西山牧場で死んだ。31歳だった。

 91年、デビューから4連勝で阪神3歳牝馬Sを優勝。河内洋騎手(現調教師)が騎乗して1番人気に推された桜花賞は、2着に3馬身半差をつけて圧勝した。オークスは7着、同年秋のエリザベス女王杯は3着と距離の壁に阻まれたが、一気に短縮したスプリンターズSは後方待機から上がり最速の末脚でサクラバクシンオー、ダイタクヘリオスなどを退けて復活Vを飾った。河内は93年の引退まで手綱を執った。

 通算16戦7勝。重賞はG1・3勝を含む6勝。引退後は繁殖入りし、重賞2着2回のニシノマナムスメなどを送り出した。

 〈いい決め手があった〉

 河内洋調教師「いい決め手があった。印象に残っているのは(92年の)スプリンターズS。中山1200メートルは合うと思っていて、自信があった。3歳牝馬で勝つのはなかなかいないよ。子ども(ニシノマナムスメ)も管理させてもらったしね。いい思い出をつくってくれた。大往生やね」

 〈当時は驚き…桜花賞直前の鞍上乗り替わり〉

 速くて強くて美しい。それがニシノフラワーの印象だ。忘れられないのが、桜花賞直前の鞍上の乗り替わり。チューリップ賞で2着に終わり、デビューからの連勝が4で途切れたことで、主戦の佐藤正雄から河内洋にスイッチされた。オーナーサイドの要請もあったのだろうが、佐藤自ら「乗ってくれないか」と、河内に声をかけたという。

 あれから30年近く経過した今、国内外のジョッキーが入り乱れ、乗り替わりは日常茶飯事だが、厩舎の所属騎手を一番に考える当時は驚きがあった。ベテランとはいえ、テン乗りの河内にもプレッシャーはあっただろうが、見事に優勝へ導いた。レース後、阪神競馬場の検量室横で「勝ってよかった」と涙に暮れた佐藤の姿を思い出す。

 ベストレースは、92年のスプリンターズSではないか。ヤマニンゼファーの勝ちパターンに見えたゴール前、素晴らしい爆発力で突き抜けた。これぞ大外一気の末脚―。1200メートルで潜在能力の全てが発揮された。(編集委員・吉田 哲也)

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