【桜花賞】ウォーターナビレラの山岡正人オーナーが語った 先代の父への思い。武兄弟との縁。

先代の勝負服を着たマスコットと並んで写真に納まる山岡正人オーナー
先代の勝負服を着たマスコットと並んで写真に納まる山岡正人オーナー

◆第82回桜花賞・G1(4月10日、阪神・芝1600メートル)

 第82回桜花賞(10日、阪神)は、昨秋のファンタジーSを勝ち、阪神JFでも3着に好走したウォーターナビレラを所有する、冠名「ウォーター」で知られる山岡正人オーナー(64)。先代からの悲願だった重賞初制覇を達成し、クラシックへ臨む2代目が、先代の父への思いや武兄弟との縁を語った。

 ―昨年のファンタジーSをウォーターナビレラが勝ち、冠名「ウォーター」の馬が重賞初V。先代からの悲願達成でした。

 「父(良一氏)が生きている間にと思っていましたが、なかなか難しいもので…。89歳でした。車いすに乗って、最後まで仕事していました。(昨年)9月に亡くなってすぐにサフラン賞を勝って、重賞も勝たせてくれたので、父の後押しがあったのかなと。(検量室前に)引き揚げてくる時にユタカ(武豊)くんも上を、天国を向いて父に報告してくれました」

 ―本当におめでとうございます。馬主になった経緯を教えてください。

 「父が馬主になったのが45年前ぐらい。私も30年ぐらいたちますが、競馬に興味を持ったのは私の方が早いんです。私が運転免許を取った頃に父が入院して、入院仲間の影響で競馬に興味を持ち、私が馬券を買いに行ってました(笑い)。入院していなかったら、馬主になっていなかったかもしれませんね」

 ―サフラン賞まではお父様の勝負服でしたね。いつもどのようなことを話していたんですか。

 「コロナ前は栗東トレセンに行ったり、父の馬も含めて番頭のようなことをしていました。父に『今週何が走るんや? 調子はどうや?』とか聞かれたり。父が亡くなって考えたら、競馬がなかったら、父と息子でなかなかしゃべることはありませんからね。馬がつないでくれて感謝しています」

 ―武豊騎手、武幸調教師とのご縁は。

 「父が馬主になる前から行っていた祇園のクラブで、武田作十郎調教師(武豊の師匠)と飲み仲間だったそうです。その縁で武邦彦厩舎(武豊、武幸師の父)にも預けていたので、長い付き合いですね」

 ―その中でもナビレラが武幸厩舎に所属することになった経緯は。

 ―「(ナビレラの生産者の)伏木田修ちゃんが、幸四郎くんと同い年で親友なんです。ウチも繁殖牝馬を預けていて、父の代から『いい子が産まれたら教えて』とはずっと言っていました。ものすごく良い馬(ナビレラ)が産まれて、2週間ぐらいずっと『山岡さんに買ってもらって、調教師は絶対、幸四郎くんで』と考えていたそうです」

 ―いい話ですね。ところで冠名、馬名の由来は。

 「私の妹が沢田研二さんが好きで、ウォーターはバックバンドの名前から取りました。ナビレラは私が付けましたが、韓国ドラマのタイトルからです。ユタカくん夫妻がファンタジーSの前にお線香をあげにきてくれたんですが、量子さん(武豊夫人)も韓国ドラマがお好きで、『ドラマから取ったんですか?』と言ってました(笑い)」

 ―いよいよ桜花賞です。

 「出られるだけでめっちゃうれしいです。ユタカくんと幸四郎くんにお任せです。ファンの方にも応援していただけたらうれしいです。父に良い報告ができれば」(聞き手・玉木 宏征)

 ◆山岡 正人(やまおか・まさと)1958年1月27日、京都市伏見区出身。64歳。近畿機械工業(株)(本社・京都市伏見区)代表取締役。まもなく40周年を迎える祇園のフレンチ「うを多」のオーナーでもある。趣味は「京都は和食が多いですね」という食べ歩き。ハイヒールモモコとも交友がある。父・良一氏の勝負服とは、腕に3本の白線があるかないかだけの違い。「色目がきれいだし、シンプルにデザインが好きだったので」。生産にも力を入れ、種牡馬ウォータービルド(父ディープインパクト)の活躍を楽しみにする(24年に初年度産駒がデビュー予定)。

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