◆第40回ブリーダーズCクラシック・米G1(11月4日、サンタアニタパーク競馬場・ダート2000メートル)
米国競馬の祭典、ブリーダーズCがサンタアニタパーク競馬場で行われ、4日(日本時間5日)に閉幕した。日本馬は2年ぶりの勝利こそならなかったが、クラシック(ダート2000メートル)で日本から参戦したデルマソトガケがしぶとく脚を伸ばし、2着と好走。過去に日本馬が苦戦を続けてきた本場の頂上決戦で存在感を示した。その要因を、今年のドバイ国際競走など海外取材の多い松末守司記者がコラム「見た」で分析した。
力を振り絞るように伸びてきた。デルマソトガケは好位の4番手を確保したが、道中は米競馬特有のハイペース。勝負どころでは追走が苦しくなり、徐々に先頭集団から離された。しかし、直線でルメールが左ステッキを入れ、懸命に手綱を押すと闘争心に火がついた。ジワジワとだが力強く、先に抜け出したホワイトアバリオとの差を詰め、1馬身差の2着。鞍上は「直線に入ると止まらずにずっと頑張ってくれました」と激走したパートナーをねぎらった。
決して順風満帆というわけではなかった。3月のUAEダービーで5馬身半差の圧勝劇を演じたものの、続くケンタッキーダービーでは出遅れが響いての6着。その後、陣営は早い段階からアメリカへの再遠征を思い描いていたが、前哨戦として予定していた日本テレビ盃は左前脚の蹄を傷めたために回避した。
半年ぶりの実戦が世界最高峰の舞台。当初のプラン通り、再び海を渡ったが、まさかのぶっつけ本番だった。そのなかでつかみ取った価値ある2着。ルメールは「関係者が素晴らしい仕事をしてくれたおかげで、いい状態でパフォーマンスを発揮してくれてうれしかったです」と感謝を述べた。
今年はサウジダービーに始まり、4戦すべて海外で走ってきた。音無調教師はレース後に「縁があれば、来年はサウジカップ(2月24日、キングアブドゥルアジーズ)やドバイ・ワールドカップ(3月30日、メイダン)に挑戦したい」と今後のプランを披露。今年は日本のパンサラッサが約13億円を獲得したドリームレースへの参戦を表明した。これからも続く海外への果敢な挑戦。今度は先頭でゴール板を駆け抜ける。
<来年も比較的輸送が楽な西海岸・デルマー競馬場 21年日本馬が2勝した地で快挙を見たい>
日本馬の夢の実現は目の前に迫っている―。ダートの最高峰と言われる舞台で、デルマソトガケが2着に食い込んだシーンは素直にそう思わせた。
ドバイ・ワールドCを制したウシュバテソーロも敗れたとはいえ5着。有力馬の回避が相次ぎ、今年の米3冠レース出走馬がデルマソトガケだけなどメンバーに恵まれた感はある。ただ、今まで完敗続きだった一戦で上位争いに加わったことは日本競馬が芝だけでなく、ダートも世界水準に到達したことの証明でもある。
突然の進化ではない。タイキブリザードが日本調教馬としての初挑戦で、勝ち馬に20馬身以上も離された翌年の1997年。JRAで初のダートG1、フェブラリーSが誕生した。その後もチャンピオンズCなどダートの重賞は着実に増加。レース体系を充実させた。
さらに海外遠征での敗戦を糧に調教技術や輸送方法など日本のホースマンが最善を紡ぎ出し、世界に肉薄。この流れが2年前のマルシュロレーヌによるBCディスタフ制覇や、今年のサウジC(パンサラッサ)やドバイWCでの快挙につながっている。
今まで年に数頭が出走するくらいだったBCに今年は9頭(エコロネオは出走取消)が遠征。小回りに近いコース形態に苦しんだように見えたソングラインなどは勝つことができず、海外競馬に対応する難しさも感じた。ただ、日本がチームになって挑戦する形は層が厚くなった証拠だ。来年のBCも比較的輸送が楽な西海岸で、2年前に日本馬が2勝を挙げたデルマー競馬場で行われる。今度こそ、ダートの最高峰を日本馬が制す場面を見たい。(松末 守司)