ナイスネイチャ35歳で死す…主戦務めた松永昌博調教師「大往生やね。長生きしてくれた」昨夏が最後の対面

1993年有馬記念で3着したナイスネイチャ(右、左端はビワハヤヒデ、右から2頭目はトウカイテイオー)
1993年有馬記念で3着したナイスネイチャ(右、左端はビワハヤヒデ、右から2頭目はトウカイテイオー)

 1991年から95年の有馬記念に5年連続で出走し、JRA所属馬として最多タイとなる有馬記念5度出走の記録を持つナイスネイチャが5月30日、北海道浦河町の渡辺牧場で死んだ。認定NPO法人引退馬協会がホームページで発表した。35歳だった。

 ナイスネイチャは1990年12月にデビュー。91年の小倉記念で重賞を初勝利。その後は同年の京都新聞杯(当時は菊花賞トライアル)、鳴尾記念、94年の高松宮杯(当時は2000メートルの重賞)と重賞は4勝したが、G1では91年から93年の有馬記念3年連続の3着を含め16回出走し、掲示板には9回載ったものの、勝利することはできなかった。

 “善戦マン”、“ブロンズコレクター”として人気を博し、99年のワイド馬券発売の時には周知するためのポスターにも起用された。引退後は種牡馬として成績は残せなかったが、故郷の渡辺牧場で余生を過ごしていた。

 最近では「ウマ娘プリティーダービー」のキャラクターとして人気が再燃し、誕生日の4月16日には引退馬支援のためにバースデードネーションという形で寄付を募り、年々その寄付金額が増えたことで話題になっていた。今年は7402万2066円が集まり、引退馬支援に役立てられている。

ナイスネイチャの主戦を務めた松永昌博調教師
ナイスネイチャの主戦を務めた松永昌博調教師

 ナイスネイチャの現役時代の主戦騎手、松永昌博・現調教師のコメント「牧場の方と話しましたが、最後は楽に逝けたみたいです。大往生やね。長生きしてくれた。功労馬としてこれだけ注目されて、すごいことだと思います。最後に会ったのは昨年の夏で、まだ元気そうでした。今年の春からあまり食べられなかったみたいで。人気もあったし、本当にありがたことだよね。思い出は色々ありますが、久々の勝利だった高松宮杯。すごく盛り上がったことを覚えています。ご冥福をお祈りします」

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