先週のジャパンC・G1で国内G1・6連勝を決めたイクイノックスが11月30日、電撃引退となった。美浦で調教を手がけた木村哲也調教師とのエピソードを、前中央競馬担当の恩田諭記者が「見た」。弱点を克服し、世界ナンバー1に上り詰めるまでの知られざる苦労とは―。
あれはちょうど1年前、有馬記念1週前の全休日明けの火曜(22年12月13日)朝7時。美浦トレセンの坂路下でイクイノックスを待っていると、木村調教師が現れた。馬が到着し、記者がトレーナーの元へ向かうと、その瞬間に「来ないで!」と強い口調で制された。
その日の午後、木村師から電話で説明があった。「(前週にジオグリフのレースで)香港に自分が行って、離れていたのもありますが、週の初めの一歩一歩は僕にとってすごく大事。だから集中したい。あんなふうに言われてむかついたかもしれないけど、そこはわかってほしい」と。イクイノックスはダービー後に左前脚に腫れが出るなど、ダメージが残りやすく、体質は“唯一”の弱点。どの馬もそうだが、このキタサンブラック産駒には厩舎全体でとりわけ注意を払っていた。それが今や体質の弱さが嘘のように今年は天皇賞・秋から中3週でジャパンCを制覇し、弱点を克服した。
21年に東京スポーツ杯2歳Sを勝った時、レース後の検量室前に馬を出走させていなかったのにもかかわらず、国枝調教師が現れたことを思い出した。イクイノックスが抜くまで獲得賞金で最多を誇った怪物牝馬のアーモンドアイを手がけた名トレーナーは「キタサンブラックの子どもを見に来たんだよ」と話していたが、その頃から“ライバル”になる匂いを感じ取っていたのかもしれない。
宝塚記念V後に木村師からは「家での晩酌はやめました」とメッセージが届いた。馬とともに自らも健康に気を使い、トレーナーはともに戦ってきた。「キャプテン翼で言えば岬くん。スッとキラーパスを通しちゃうというか。静かに雰囲気は出しているんだけど、努力を人に見せない」と玄人好みする存在に例える。人気サッカー漫画で岬くんが主に背負った背番号11のように1が続いて終わったのも何かの縁かもしれない。(19~22年中央競馬担当・恩田 諭)