【有馬記念名勝負】今も残る単勝最高配当記録 世紀の一発屋ダイユウサク

競馬の第36回有馬記念・G1。優勝のダイユウサク、熊沢重文騎手
競馬の第36回有馬記念・G1。優勝のダイユウサク、熊沢重文騎手

◆第36回有馬記念・G1(1991年12月22日、中山競馬場、芝2500メートル、良)優勝 ダイユウサク(熊沢重文騎手、栗東・内藤繁春厩舎)2着 メジロマックイーン(武豊騎手、栗東・池江泰郎厩舎)3着 ナイスネイチャ(松永昌博騎手、栗東・松永善晴厩舎)

 有馬記念を初めてテレビで見たのは、小学5年だった。1975年、当時3200メートルだった天皇賞・秋の勝ち馬フジノパーシアが1番人気で、ファン投票1位のキタノカチドキが休み明けながら2番人気に支持されていた。優勝はイシノアラシ。その年の菊花賞は1番人気で4着。赤いマスクで、テレビでは球団創設初のリーグ優勝を成し遂げた赤ヘル軍団・広島になぞらえる解説者がいた。

 トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスの激突。シンボリルドルフの連覇。そして、オグリキャップの感動のラストランに、グラスワンダー、スペシャルウィークの2頭が描いた紙一重のゴール板。ディープインパクト、オルフェーヴルの独走フィナーレ…。それこそファンの数だけ、思い出の有馬記念が存在する。

 中山競馬場のスタンドで観戦、取材した初めての有馬記念は1991年。主役はメジロマックイーンだった。天皇賞・秋は1着降着というショッキングな結末だったが、ジャパンC4着を挟んで、陣営はグランプリで雪辱に燃えていた。勢いのある4歳馬(現在の3歳馬)のナイスネイチャはいたが、マックイーンは圧倒的な単勝1・7倍と1番人気に支持された。

 1週間、美浦トレセンで取材。マックイーンの相手探しの旅のなか、週末に勝ち馬とニアミスした。その馬はナイスネイチャと並んだ馬房にいた。ダイユウサク。担当きゅう務員は平田修。現在は砂の猛者ゴールドドリームを筆頭に、活躍馬を管理するトレーナーである。

 競馬記者3年目、恥ずかしい限りである。レース前日、平田さんとの会話は忘れられない。「てっきりスプリンターズSを使うと思ってました」「俺も、そう思ってたけど…」温和な性格で、声を荒らげることもない。ただ、内心は…どうだったのか。やってみなければ分からない。それが競馬なのに、失礼な言葉を投げかけたものだ。

 翌日、メジロマックイーンの内懐を突くように、ゴール前で抜け出したダイユウサクの姿に、誰もが驚かされた。単勝14番人気、1万3790円は、今も残る有馬記念の単勝最高配当である。=敬称略=

     (吉田 哲也)

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