メジロパーマーで逃げて春秋グランプリ連覇の山田泰誠元騎手、最後の重賞勝利は「しまいから勝負」だった

騎手時代の経験が調教の指針になっているという山田助手
騎手時代の経験が調教の指針になっているという山田助手
滞在中の函館で調教に励む山田助手
滞在中の函館で調教に励む山田助手
92年の有馬記念を勝った山田(馬上)とメジロパーマー
92年の有馬記念を勝った山田(馬上)とメジロパーマー

 夏季限定企画「夏の自由研究」は「歴史あり」と題し、01年CBC賞で現役時代最後の重賞勝利を挙げた山田泰誠元騎手(52)=現助手、栗東・西村厩舎=のもとを訪ねた。

 遠い記憶をたどらずとも、昨日の事のように鮮明に思い出す。山田泰誠助手は騎手時代、G1・2勝を含む9つの重賞タイトルを獲得。最後の1勝が、リキアイタイカンでつかんだ01年のCBC賞だ。

 今はサマースプリントシリーズの一つとして定着しているが、当時は12月開催だった。主戦騎手が乗れず、舞い込んできた初騎乗。松田正弘調教師からは前に行くよう指示されていたが、ついて行けず、道中は12番手になった。「今から行っても無理。しまいから勝負しよう」。92年にはメジロパーマーで逃げて春秋のグランプリを連覇した実績があったが、焦ることなく作戦を切り替えた。

 道中は我慢して直線へ。良馬場ではあったが、開催が進んで芝の状態は悪く、内を通った馬が伸びあぐねているところを後方の外から一気に差し切った。リキアイタイカンを重賞初制覇に導くと同時に、自身にとっても7年ぶりのタイトル。喜びはひとしおだった。「めちゃくちゃうれしかったですよ。うまくはまった感じ。勝ったレースは今でも思い出しますよね」

 現在は調教助手として汗を流す日々。騎手時代に培った経験を、何より調教の指針にしている。自身初の重賞制覇となった92年のアーリントンCで騎乗したエルカーサリバーは「強烈に引っかかる馬」で苦労が絶えなかったが、兄弟子だった音無現調教師から伝えられた「人も馬も苦労してつくっていけ」との言葉を胸に、切磋琢磨。「どんな馬でも乗れる」との自負はこの頃、身についた。メジロパーマーには「どういう競馬をして、どう勝つか。一日中、本当に考えさせられた」と、勝負に向かう姿勢を教わったという。

 現役引退から、今年10月末で丸20年。立場は変わったが、追い続けるのはやはり「勝利」の二文字だけだ。「いつか担当の馬でG1を勝ちたいね。助手として勝ったらどんな思いなんだろう」。試行錯誤しながら、馬と向き合う。騎手時代となんら変わらない姿が、そこにあった。(松末 守司)

 ◆山田 泰誠(やまだ・たいせい)1971年1月1日、北海道生まれ。52歳。1989年に栗東・田中良平厩舎からデビュー。同期に田中勝春、角田晃一、佐藤哲三がいる。JRA通算2824戦193勝で03年10月31日に引退。重賞9勝。G1は92年の宝塚記念、有馬記念をメジロパーマーで制した。引退後は武邦彦厩舎で調教助手となり、同厩舎解散後は笹田厩舎、15年から現在の西村厩舎に所属。

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