ノースフライトで騎手時代G1・2勝の角田調教師、管理した加藤敬師が思い出語る

1994年5月15日、安田記念で優勝したノースフライト
1994年5月15日、安田記念で優勝したノースフライト

 1994年のJRA賞最優秀5歳以上牝馬(当時)に選出されたノースフライトが22日、余生を送っていた北海道浦河町の大北牧場で老衰のため死んだ。一夜明けた23日、関係者が栗東トレセンで当時の思い出を語った。

 角田調教師(騎手時代、4戦目の府中牝馬Sで初コンビを組み、安田記念、マイルCSのG1を2勝)「乗ったレースは一戦一戦、どれもよく覚えています。最初に乗った府中牝馬Sは負担重量が50キロ。(減量に)苦労したのはいい思い出です。安田記念は当初のプランは好位からだったんですが、出遅れたので腹をくくって後ろから運びました。それでも強い勝ち方をしてくれた。『落ち着いて乗れば、勝たせてくれる馬なんだ』と感じました。負けたレースもサクラバクシンオーやホクトベガといった、今思えば本当に強い馬たちと走っていたんだなと。子どもがなかなか活躍できなかったのは残念でしたが、全てが印象深いです。現役を引退してからは何度か会いに行っていました」

 加藤敬調教師(ノースフライトを管理)「28歳ですから、天寿を全うしたといえるでしょう。体質が強くないためデビューは遅く(3歳5月)なりましたが、もっと早くデビューさせていたら、あそこまで完成していなかったと思います。子どもも管理しましたが、みんな体質が弱かった。何もなく無事に終わった馬は1頭もいなかった(苦笑い)。ミスキャストにしても、プリンシパルSを勝ってダービーに使おうかというところで骨折でしたから。最近は(ノースフライトの)孫がいるので、走っていると自然と目が行っちゃいますね」

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