2月末で定年を迎える小島太調教師(70)=美浦=。騎手を引退したあと1997年に厩舎を開業し、2001年の菊花賞(マンハッタンカフェ)などG1レース5勝を含む重賞24勝の活躍を支えたのは、3人の息子たちだ。良太調教助手(46)、勝三調教助手(42)、そして現役ジョッキーの太一騎手(32)。厩舎の解散を前に3人が集まり、父親の知られざる素顔を語った。(取材、構成・石野 静香)
―すごさ
良太「すごいなと思うのは、18、19で騎手デビューして調教師になってさ。今の今まで、1R、2Rの未勝利のレースでもあれだけ燃えられるのは、すごいよね」
太一「そうだね。調教師になってからもね」
良太「今なんか、G1でも冷静にレース見てる調教師いるよね?」
太一「うん」
良太「1Rから地面踏んづけて、『アーアー』って70になってもやれるのは、あの人くらいじゃないかな」
太一「負けるのは、ほんと悔しい人だから」
良太「前に、太一が言ってたよな。(ジョッキー時代に)負けたり騎乗停止になって家に帰ってくると、不機嫌だって」
太一「まだ幼かったから、訳わかんなかった。何があったんだろうって。仕事から帰ってきたら、怖いお父さんだった。すごい気を使ってた」
良太「いまだに、競馬が終わってからあれだけイラつく人いないよね」
勝三「いないね」
良太「『ああ、しょうがないよ』ってならないもん」
勝三「馬を信じてるからだよね」
良太「だからオヤジの長所であり短所は、自分の馬にほれ込みすぎるところ」
勝三「あー、いいこと言う」
良太「良くも悪くもね。ダイレクトに怒られるってことでは、太一が一番かわいそうだよね。そういう(騎手の)立場だから。俺らは、仕上がりに関して小言は言われるよ。太一の場合は、直接怒られるからね」
太一「結局、言い訳できないからね。(父親は)全部分かってるから」
良太「お見通しだからな。四位さんとか、レース終わってオヤジが(検量室に)降りてこないと気にするよな」
勝三「頭来ると、整理がつかないんでしょうね」
良太「怒りたいんだけど、オヤジもジョッキーの気持ちは分かる。怒れないから、上(のスタンド)で一呼吸置いてる。そうすると四位さんたちは、下に降りてこないのは怒ってる証拠だって分かる」
太一「怖いよね~」
勝三「どんな騎手も立場があるから、ポーズとして敗因を言わなくちゃいけないんだけど、『本心じゃないってことは分かってくれてるでしょ?』って思われてると思う。オヤジもそうだったでしょって。だから、怖がられてるけど、逆に甘えられている部分もある」
良太「乗り役も幅広く扱わないよね。自分と騎手時代にかぶってる人間を乗せる。ふがいないレースをしたら『もうあいつ乗せねえ』とか言うんだけど、次の週、みんな普通に乗せてるからね(笑い)」
勝三「怒るといえば、世界一のジョッキーに日本語で『この下手くそ!』って言ったのは印象深い」
良太「ああ、フランキー(デットーリ騎手)だ。プリンシペデルソルね(2005年11月27日の東京6Rで2着)」
勝三「普通の人からすれば、フランキーもそういうことあるんだなとか、逆にフランキーだから2着に持ってこられたのかなって思うけど、真剣に日本語で『この下手くそ』って言ったからね(笑い)」
良太「本人(フランキー)も、怒られてるの分かってるから平謝り(笑い)」
勝三「いつも『パパ』って呼んでるのにさ、その時だけ『ボス』って言ったんだよ」
一同「ハハハ」
勝三「あれだけのジョッキーが、真っ青な顔して帰ってきてさ」
良太「ダービーでへぐって(失敗して)負けたかのようなね」
勝三「帰って来て、こっちでは『この下手くそ』って言ってるしさ、上(ジョッキー)では謝ってるし。それ見てすごいなと思った、お互いに。覚悟が違うよね。世界で最も難しい仕事をしてるジョッキーだよ」
良太「マークする馬を間違えちゃったんだよね。競馬が終わった後に一緒に飯食って、同じホテル泊まって、帰りにタクシー乗るまで見送ったんだけど、最後まで『あのレースごめん』って謝ってた」
勝三「あれは印象に残ってるな」
太一「でも、ジョッキーからは愛されてるよね」
良太「13日に小倉で使ったフォワードカフェは、四位さんが『1頭でも小倉行くよ』って言ってくれて。乗る予定だった京都もキャンセルしてさ。他の騎手もそうだけど、そういう点では幸せだよね」
◆小島 良太(こじま・りょうた)1971年5月18日生まれ。46歳。小島太厩舎で調教助手。3月からは新規開業の和田勇介厩舎に転厩する。
◆小島 勝三(こじま・かつみ)1975年11月28日生まれ。42歳。小島太厩舎で調教助手。3月から同じく和田勇介厩舎に転厩。
◆小島 太一(こじま・たいち)1985年12月30日生まれ。32歳。2005年3月に騎手デビューし、JRA通算44勝。小島太厩舎所属。