きょう定年を迎える7人の調教師が27日、それぞれに“ラストラン”を終えた。藤沢和雄調教師(70)=美浦=は中山で5頭を出走させ、2勝を積み上げ、史上2位のJRA通算勝利数は1570に。3頭出しで臨んだ中山記念のレース後、笑顔で関係者やファンに別れを告げた。
最後は穏やかな笑顔だった。“名伯楽”藤沢和調教師が34年の調教師人生の幕を静かに下ろした。3頭出しの中山記念後、ウィナーズサークルに集まった調教師、騎手に囲まれ、記念写真に納まった。その後、スタンドにいるファンに歩み寄り、正面、右、左と3度、深々と頭を下げると、温かな拍手が沸き起こった。
「寂しいけど、こんなに応援された調教師はいない。ファンにもいつも応援してもらって、ここまでやってこられました。みなさん、長い間ありがとうございました」。慣れ親しんだ中山の夕日に照らされ紅潮した顔は、誇らしげでもあった。
最後まで手は緩めなかった。ラストデー。土曜の7頭に続き、5頭の有力馬を送り込んだ。4Rをビートエモーションで勝つと、7Rのレッドモンレーヴも連勝し、通算1570勝目。中山記念は3頭出しで、レッドサイオンは9着、引退レースとなったコントラチェックは10着、ゴーフォザサミットは15着と結果には結びつかなかったとはいえ、ラストも競馬界の中心にいた。「最後、外してごめんなさい」。涙はない。「最後、外してごめんなさい」
「馬優先主義」を掲げた調教師人生。前日のサウジCデーで、勝利したオーソリティ、ソングラインの母の父はシンボリクリスエス、ダンシングプリンスの母の父はバブルガムフェローと、師が管理した名馬の血が脈々と流れている。
現役時代に無理使いせずに結果を出して牧場に帰し、血の繁栄を目指す師の思いが、日本競馬に広がっている証拠だ。G1・34勝を含む重賞126勝の偉業だけでなく、競馬界にもたらしたものはとてつもなく大きい。「いい馬をやらせてもらって牧場に帰せたことは良かった」。
さようなら、そして、ありがとう―。「これからも競馬を見ていきたい」。日本競馬界に根付いた名伯楽の功績は、いつまでも受け継がれていく。(松末 守司)
◆藤沢 和雄(ふじさわ・かずお)北海道生まれ。70歳。調教助手として菊池一雄厩舎、野平祐二厩舎を経て、1987年に調教師免許を取得し、翌年開業。JRA賞は最多勝利12回、最高勝率9回、最多賞金獲得8回。