矢作芳人調教師から福永祐一騎手へ「努力に勝る天才なし」 20年コントレイルで無敗3冠達成

愛情あふれるエールを送った友道調教師(左)と矢作調教師
愛情あふれるエールを送った友道調教師(左)と矢作調教師

 サウジカップデー(25日、キングアブドゥルアジーズ競馬場)の騎乗を最後に引退する福永祐一騎手(46)=栗東・フリー=は、現役最後の5年間で一気に騎手歴代2位となる日本ダービー3勝を挙げた。タッグを組んだ矢作芳人調教師(61)=栗東=が、戦友に「餞(はなむけ)」を寄せた。

 冗談ではない。本気だった。福永が悲願の初制覇を成し遂げた18年ダービー直後の検量室。矢作調教師は祝福の言葉のなかで、本人に「ダービーを取ったんだから、これでいいだろう。やめろ」と告げた。

 痛烈な一言の理由は、矢作師自身が子供の頃に憧れた福永の父・洋一さんだった。79年、毎日杯での落馬事故により30代前半で引退。「天才」と称された名手の悲運が、40年近くを経ても脳裏にあった。「俺らの世代はどうしても洋一さんのけがが悪夢としてあるから…。無事なうちにやめてほしかった。もちろん、彼が調教師向きだと思っていたからこそですけどね」

 その思いをさらに強くしたのが、コントレイルでの偉業だ。「彼は馬に乗っているのに、自分のように下から見ている調教師側の視点を持っていた。感覚を共有できることが多かったですよね」。冒頭の一言の2年後、ダービーで15年リアルスティール(4着)以来となる2度目のタッグを組んだ。何度も話し合いを重ね、史上3頭目の無敗3冠にたどり着いた。

20年にコントレイルで日本ダービーを制した福永祐一
20年にコントレイルで日本ダービーを制した福永祐一

 「天才」の息子という注目のなかで始まった騎手人生は間もなく幕を閉じる。矢作師は「重圧はあったと思う。正直、ジョッキーとしての素質はそこまで高かったわけではない」と評しつつ、すぐに続けた。「努力でここまでなった男。努力に勝る天才なし、じゃないかな」。父子2代への強い思いを胸に秘めるトレーナーからの、最高の褒め言葉だった。

 ◆矢作 芳人(やはぎ・よしと)1961年3月20日、東京都生まれ。61歳。05年3月に開業。JRA通算798勝で、重賞は57勝(うちG1はダービー2勝を含む14勝)。

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