“雨男”の清山宏明・元騎手、大雨だった95年函館3歳SをプラウドマンでV 9か月後、最初で最後のダービーで“晴れ舞台”

プラウドマンとの思い出を振り返る清山助手
プラウドマンとの思い出を振り返る清山助手

 「夏の自由研究」は、95年の函館3歳S(現2歳S)をプラウドマンで制した清山宏明元騎手(55=現辻野厩舎助手)を訪ねた。

 今年の函館2歳Sは悪天候が予想されるが、28年前の函館3歳S(当時)は、視界不良になるほどの大雨の中で開催された。「正直どれが強くてどれが弱くなるのか、開けてみないと分からない。少しでも上手に乗ってあげよう」。清山助手は、優勝したプラウドマンの馬上で決心していた。

 デビューからの2戦に騎乗した佐藤哲三(現評論家)は、函館3歳Sでは同じ中村均厩舎のフジノムテキに騎乗。普段から同厩舎の調教を手伝っていた清山助手に乗り替わりの白羽の矢が立った。「そこまで勝利に近いところにいる感覚ではなくて」と、率直に振り返る。

 位置は気にせず、道中は7、8番手。直線で外に出したのも、きれいな馬場を走らせるためだった。すると先行勢が次々に脱落。力強く差し切った。「読んだわけではなく、ただ馬に集中していたらそういうレースになった」。無欲がもたらしたタイトルだった。

 その約9か月後の96年6月。清山助手はプラウドマンとともに、府中で熱狂の渦に包まれた。16年間の騎手人生で唯一の日本ダービー参戦(15着)だった。「二十何年前ですけど、鮮明に覚えてますもんね。心ここにあらずみたいな感じの中、一生懸命乗っていた気がします」。かけがえのない思い出を、しみじみと懐かしんだ。

 くしくも、角居厩舎時代に担当したキセキも土砂降りの17年菊花賞を制覇。今年は担当馬カラテが道悪の新潟大賞典を勝った。「普段は晴れ男なんですけど、重賞を勝ったレースは結構、雨が多い」。雨との縁の始まりであるプラウドマン。“雨男”の清山助手を、ダービーという晴れ舞台に連れて行った一頭だった。(水納 愛美)

 ◆清山 宏明(きよやま・ひろあき)1968年3月13日、鹿児島県生まれ。55歳。86年3月にデビューし、JRA通算141勝。重賞は93年京阪杯、高松宮杯、鳴尾記念、95年函館3歳Sの4勝。02年6月に引退し、調教助手に転身。角居厩舎では17年の菊花賞馬キセキなどを担当した。現在は辻野厩舎に在籍する。

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