◆第48回有馬記念(2003年12月28日、中山競馬場・芝2500メートル、良馬場)
1着 シンボリクリスエス(牡4歳) オリビエ・ペリエ騎手 美浦・藤沢 和雄厩舎
2着 リンカーン(牡3歳) 武 豊騎手 栗東・音無 秀孝厩舎
3着 ゼンノロブロイ(牡3歳) 柴田 善臣騎手 美浦・藤沢 和雄厩舎
本当に飽きない。有馬記念の歴史を振り返っていると、時間がたつのを忘れてしまう。施行時期、大まかなルールを変えずに積み重ねてきたグランプリ。クラシック、天皇賞にある重みこそないが、年末であり、世界一馬券が売れるレースである。ある種の熱狂感が、ファンを引きつけるのだろう。
たとえば1960年代後半の主役だったのがスピードシンボリである。5年連続でファン投票5位以内で出走し、3着、4着、3着、1着、1着の成績を残した。最近ではゴールドシップが4年連続で出走しているが、その年の菊花賞馬として臨み、優勝した2012年は6位だった。同じくナリタトップロードも同パターンで6位(7着)だった。さりげないが、今後も破られそうにない記録である。
意外だったのが、最年少優勝ジョッキー。1990年の武豊、そうオグリキャップの感動のラストランだった。通算29回の騎乗で、3勝、2着8回、3着2回で、馬券に絡んだ複勝率は4割4分8厘。とんでもない数字が残っている。その武豊をも上回る最多勝は4勝の池添謙一。勝負強さを見せつけている。
64年の歴史で、外国人ジョッキーが初めて名前を刻んだのが、2002年のオリビエ・ペリエ。シンボリクリスエスとのコンビで栄冠を手にした。翌年、同馬で連覇を成し遂げると、2004年はゼンノロブロイで驚がくの3連覇。新時代を切り開いたのは、まぎれもなく陽気なパリジャンだった。
そのシンボリクリスエスは先日、天国へ旅立った。タップダンスシチーの野望を打ち砕いた2002年はもちろん、2003年もレコード(2分30秒5)で9馬身差をつける圧倒的な強さだった。天皇賞・秋、有馬記念のダブル連覇、衝撃度の強い勝ちっぷり、そして種牡馬としてエピファネイアを送り出した。その息子も早々とデアリングタクトという孝行娘に恵まれた。果てしなくつながっていく血脈になりそうだ。(敬称略)
(編集委員 吉田 哲也)