番長・三浦大輔の「男気」が生んだ奇跡の物語

リーゼントロックの「ミニ引退式」に駆けつけた三浦大輔オーナーと矢作調教師
リーゼントロックの「ミニ引退式」に駆けつけた三浦大輔オーナーと矢作調教師

 寒さを全く感じさせないほど温かな空気に包まれていた。12月12日。滋賀県・栗東トレセン内にある矢作芳人厩舎では、首にニンジンで作った手作りのレイをかけられた一頭のサラブレッドが、多くの笑顔に囲まれていた。真ん中にいるのはDeNA・三浦大輔2軍監督。そのサラブレッド、リーゼントロックのオーナーだった。12月7日の師走S(10着)を最後に現役引退が決定。この日は厩舎主催の「引退式」が行われたのだ。「生死の境をさまよった馬ですからね。本当によく頑張ってくれた。夢を見させてもらいました」と、三浦オーナーが愛馬にほほ笑みかけた。

 「丈夫さ」が売りだった三浦オーナー2頭目の所有馬。悪夢に襲われたのは、2014年5月の京都新聞杯だった。中団を追走していた2コーナーで、ズルスルと力なく下がっていく。左後肢の複雑骨折による競走中止。馬運車に乗って引き揚げてきた愛馬の痛々しい姿を見た矢作調教師は、覚悟を決め、関東の自宅にいた三浦オーナーに電話をかけた。「経済的な負担もありますし、一般的には楽にさせてあげるケースだと思います…」

 競走馬は400~600キロもの馬体を4本の脚で支えなければいけない生き物だ。その一本が回復困難な骨折に見舞われると、他の3本の脚に死に至るような病気が発症する。治療をするにしても、回復の見込みが非常に少ない中、馬は3本の脚で苦しい思いを味わう。そのため、競馬界では「安楽死」という措置を取られることがほとんどだ。矢作調教師の言葉は、競馬界の“常識”だった。

 しかし、三浦オーナーはこう言った。

 「お金じゃないんです。命だけでも助けてもらえないでしょうか」

 三浦オーナーが当時を振り返る。「故障で馬が苦しむことも知っていましたし、馬主として、自分の一言で安楽死の決断をしないといけないのかと、色々なことが頭をグルグルしましたよ。でも、最後は命だけでも助かってほしい、生きていてほしいという気持ちだったんです」

 その男気を感じ取った矢作調教師は、栗東トレセンで緊急手術に踏み切った。京都競馬場からの輸送中、もしも腰から崩れ落ちれば後肢が踏ん張れないため、そのまま立ち上がれなくなってしまう。馬運車のドライバーに「本当に慎重に頼む」と懇願し、送り出した。そして、無事に到着した栗東では患部にボルト6本を入れる4時間以上の大手術。「JRAを始め、色々な方に迅速に対応してもらいました」。無事に手術は終了。熱い思いから始まった一頭の競走馬の命を救うためのリレーは、しっかりとつながり、再び生命の灯が灯った。

 矢作調教師が「競走馬としての復帰なんて、とても考えられなかった」と振り返るアクシデントから約1年2か月後。2015年7月4日、リーゼントロックは再び競馬場へ戻ってきた。その後は大きな故障もないどころか、4年4か月も競走馬生活を続けたうえ、何と4勝も挙げ、重賞戦線でも好走。昨年末の東京大賞典ではG1初出走(8着)までたどり着いた。

 「とにかく、レースのたびに『何とか無事に』と思っていた。いつも中山大障害に送り出すような気分だったよ」。トレーナーが笑顔で振り返れば、思いは三浦オーナーも同じだ。「ボルト6本も入っている状態で、よく頑張ってくれたとしか言いようがない。まさか、自分の馬がG1に出るなんて、思ってなかったですから。矢作先生を始め、スタッフや、支えてくれた方々には感謝しかありません」。それは奇跡の物語だった。

 物語にはまだ続きがある。今年1歳になるリーゼントロックの半弟(父ゴールドシップ)を、すでに購入しているのだ。「芦毛の馬で536キロと大型なんですが、バランスがいいようです」と笑みを浮かべる三浦オーナーを、矢作調教師が穏やかな表情で見つめている。「自分の馬を家族だと思っているんだよね。馬房の前で何十分、何時間でも見ていることもある。本当に、愛情の伝わるオーナーです」。競走馬への熱い思いにあふれたチームが紡ぐ“第2章”が、今から楽しみでならない。(中央競馬担当・山本 武志)

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