【東日本大震災10年】山元トレセンを勇気づけたミラクルレジェンド砂の女王

震災から8か月後のJBCレディスクラシックで勝利したミラクルレジェンド(手前)
震災から8か月後のJBCレディスクラシックで勝利したミラクルレジェンド(手前)

 競走馬の育成、休養施設として名高い山元トレーニングセンター(宮城・山元町)は、東日本大震災で敷地内に地割れが発生するなどの甚大な被害に見舞われた。電気、水道などがストップして競走馬の管理ができない状況に陥ったが、滞在していた約270頭は幸い全頭が無事。その中には、8か月後のJBCレディスクラシックを制し、牝馬ダート界の頂点に立ったミラクルレジェンドという一頭の牝馬がいた。(取材、構成=志賀浩子、内尾篤嗣)

 10年前の3月11日、山元トレセンはいつもと変わらぬ朝を迎え、勝利を目指す競走馬の調教が行われていた。現在、同トレセン場長を務める上水(うえみず)司氏(47)は当時、調教主任として厩舎で作業中。本来は午前勤務のみの予定だったが朝の調教で乗った馬の状態を確かめるため、午後もトレセン内に残っていた。

 強い揺れを感じたのはその時だ。激しい横揺れに、立っていることすらできなくなった。「幼い3歳馬は人を呼んで鳴いていました」。視線を外にやると、駐車中の車が跳ねている。揺れが収まると、朝とは全く違う光景が広がっていた。「走路はひび割れ、坂路の下には津波で家が流されてきていました」。幸い約270頭の競走馬とスタッフは無事だったが、トレセンから海岸まではわずか2キロ。「いつも通っている国道6号線が津波で通れなくなっていました。半休だからと帰っていたら…」。当時を回想すると、今も胆が冷える思いだという。

 電気や水道がストップしたこともあり、その後は滞在していた馬を各地の牧場に移動させることに追われた。そんな日々の中でスタッフを勇気づけたのは、山元トレセンで育った競走馬が頑張る姿だった。ミラクルレジェンドは当時4歳。前年のクイーン賞・交流G3(船橋)を制するなど、ダート路線に転向して成績を伸ばしつつあった。「小柄でしたが競走馬らしい気の強さがあった」と上水氏。栗東に戻ると、3連勝でその秋のJBCレディスクラシックを制覇した。管理していた藤原英昭調教師(55)は「震災を乗り越えて、重賞をいくつも勝ったんだからな。鉄の女や」と、当時を懐かしんで目尻を下げる。

 藤原英厩舎には現在、ミラクルの血を引くグレートタイム(牡6歳)が所属している。オープン入り後は5戦勝利から遠ざかっているが、デビューから20戦、すべてダートで1けた着順と、母ミラクルレジェンドのDNAはしっかり受け継がれている。「毎日、馬にとって必要なことを繰り返す。あれから10年も、変わらずやってきました」と上水氏。数々のスターホースを送り出し、血のドラマを紡いできた山元トレセン。その背景には、未曾有の震災を受けても絶えることのないスタッフの努力があった。

 ◆山元トレーニングセンター 宮城県山元町にある社台グループのトレーニング施設。デビュー前の馬の育成や、休養馬の調整を行っている。62万平方メートルの敷地に全長900メートルの坂路コース、1100メートルの周回コース、274頭収容可能な厩舎などを備え、規模は国内屈指。ヴィクトワールピサ、ゼンノロブロイ、ネオユニヴァース、バブルガムフェロー、マンハッタンカフェなど数々のG1ウィナーを送り出してきた。震災当時は社台ファーム、ノーザンファームが使用していたが、ノーザンファームが福島県天栄村に移転した現在は追分ファームと施設を共用している。

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