東日本大震災から10年 甚大な被害を乗り越え、福島競馬場にファンファーレが響いた日

東日本大震災での被災を乗り越え、競馬を再開した2012年4月7日の福島競馬場
東日本大震災での被災を乗り越え、競馬を再開した2012年4月7日の福島競馬場

 2012年4月7日はファンを含め、競馬に携わる人たちにとって忘れられない日となっている。東日本大震災で受けた甚大な被害を乗り越え、約1年5か月ぶりに福島競馬が再開されたその日、同競馬場の場長としてその現場にいたのが時任淳信氏(64)だ。古川吉洋騎手(43)=フリー=はその日のメインレースの勝者だった。先月13日の地震で被災し、4月10日~5月2日の開催中止が決まった同競馬場。様々な感情を抱く2人を取材した。(石行 佑介、内尾 篤嗣)

 待望の福島競馬場が再開。心を躍らせて駆けつけたファンは約1万3000人。開門前には1557人が列を作った。約1年5か月ぶりのファンファーレや場内にこだまする蹄の音は、時任氏の脳裏に刻まれたままだ。

 「第1レースのファンファーレとともに、場内から拍手が湧き起こりました。やっと再開させられたと胸が熱くなった。ともに苦労した職員も心に感じるものがあったと思います」

 その日のメインレースは福島民報杯だった。のちの重賞4勝馬ヒットザターゲットに騎乗するため、福島競馬場にタクシーで向かっていた古川吉は、車窓からの光景に複雑な感情にかられていた。

 「震災から1年がたっても、復興し切ったわけではありませんでした。競馬場までタクシーに乗っていると、原発に関する集会が見えたり、まだ爪痕は残っていると感じていました」

 再開までの道のりは困難を極めた。時任氏は震災発生時、場長室におり、想像を絶する揺れを体験した。揺れがおさまると、競馬場内の様子を確認に行った。すると、スプリンクラーが破損しスタンド内が水浸しになり、壁や天井は崩落していた。

 「永遠に終わらないのではないかというくらいの揺れ。復旧にいったいどのくらいかかるのか気が遠くなった」

 目を覆いたくなる惨状に時任氏は長期の競馬開催不能を瞬時に悟った。耐震補強や芝の張り替え、除染などの費用は最終的に約42億円となった。一方で、福島競馬場は調整ルームや厩舎スタッフ用の居室などにのべ550人の被災者を受け入れた。

 そうしてたどり着いた再開の日、その調整ルームから古川吉はターフに飛び出していった。自分を含め騎手仲間は36人。全員が着用したブルゾンに復興の祈りを込め被災地に黙とう。そしてレースが始まった。ヒットザターゲットは単勝3番人気。4角4番手から直線で抜け出す完璧プレーでファンの声援に応えた。

 「再開され、福島で乗ることができ、大きな喜びがありました。この1勝は特別なものでした」

 古川吉は福島競馬場で、関西デビューの騎手では現役最多の59勝を挙げる。

 「たくさん勝たせていただき、思い入れがある大好きな競馬場です。僕たちにできることは、馬に乗って皆さんに見てもらうこと。また福島のファンの前でレースができる日を待っています」

 2月13日に地震が発生し、またも傷を負った福島競馬場。「震災10年で再び開催中止を余儀なくされたことに驚き、大変残念」と時任氏はショックを隠さなかったが、あの日のように立ち直ることを信じてやまない。

 ◆時任 淳信(ときとう・あつのぶ)東京都出身。1981年にJRA入会。総務、広報企画課などを経て、10年3月から13年2月まで福島競馬場場長に就任。現在は関連会社の役員を務める。

 ◆古川 吉洋(ふるかわ・よしひろ)1977年9月26日、岡山県生まれ。43歳。96年3月にデビュー。97年の阪神3歳牝馬S(アインブライド)のG1・1勝を含むJRA重賞10勝。

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