◆札幌記念・G2(8月18日、札幌・芝2000メートル、11頭立て※1頭が競走除外=良)
自戒の意味も込めて、今年の札幌記念は非常に記憶に残るレースとなった。いわゆる夏の“スーパーG2”と呼ばれる舞台で、5番人気の伏兵だったノースブリッジ(牡6歳、美浦・奥村武厩舎、父モーリス)が完勝で重賞3勝目を飾った。金星を挙げそうな雰囲気をつかみながら、予想に生かせなかったのは痛恨の極みだった。
昨年はアメリカJCCで重賞2勝目を挙げた後、大阪杯で2度目のG1挑戦となったが、当日は8キロの馬体減など長距離輸送も響き、体調ひと息で8着と結果を出せなかった。その後は秋も成績が振るわなかったが、今年に入っての海外遠征できっかけをつかむ。カタールでのアミールTで4着に好走すると、香港G1のクイーンエリザベス2世Cで見せ場たっぷりの3着。果敢に逃げて粘り込む姿を見て、決してフロックではないと感じていた。
そして肝心の札幌記念である。ノースブリッジはレースの1週間前に美浦から札幌へ移動して、レース当週は記者の目の前で調整を進めていた。長距離輸送での競馬が得意ではないため、体の回復具合を見ながら現地で調整していくパターンは、2度の海外遠征で手応えをつかんだルーチン。そして何より、海外遠征を経験したことでメンタル面が成長したことも大きく、奥村武調教師が意外なほど強気になっていたことに驚かされた。最終追い切り後、レースへの抱負を聞かれて、「なかなか大きな壁だが、いつかは逆転したいし、負けてたまるかと思っている。何とかいい結果を出せれば」と、主役と見られていたプログノーシスへの“打倒”を力強く宣言するほどだったのだ。
自分で張りのある馬体を目の当たりにして、岩田康誠ジョッキーと奥村武調教師の取材のトーンも高い。いかにも脚質的に小回りの右回りコースが向きそうで、素直に本命を打てばよかったはずが、最終的に◎は8歳馬のボッケリーニ(牡8歳、栗東・池江泰寿厩舎、父キングカメハメハ)に。浜中俊騎手への取材で「舞台は絶対に合う」と聞けたことに加えて、人気薄で高配当を狙いたいという“助平根性”が裏目に出た。
レース結果はご存じの通り。ボッケリーニは馬場入場後に右後肢ハ行を発症したため競走除外となり、対抗評価のプログノーシスが直線で伸び切れないなか(4着)、3番手評価のノースブリッジが鮮やかに勝利。新聞記者は話を聞いて取材することは当たり前だが、ふと駆け出し記者時代の苦い記憶が脳裏によみがえった。
08年に横浜ベイスターズ担当だった記者は、まだセ・リーグが予告先発を導入していなかった当時、よく先発投手の予想を外して会社から怒られっぱなしだった。144試合で48勝94敗2分の断トツ最下位で、シーズンが進むにつれて先発ローテは崩壊状態とあって難度は上がるばかりだった。その時にある先輩記者から言われた、「見ることは基本だからな」という“教え”は胸に刻んでいる。先発投手を明かせない取材対象に対して、じっくりと練習中の動きを見て、調子や当番日を読み解く。そう言えば当時のトレーニングコーチから、「人間って、顔を見なくても、背格好や歩く姿勢で見分けられるもの。そこにコンディションのヒントもあるんだよ」と教わったっけ。やはり現場にいる記者として、聞くのはもちろん、生でじっくりと見ることができるのに、それがおろそかになっていたことは深く反省だった。
その後、ノースブリッジは天皇賞・秋は11着に敗れて、暮れの香港ヴァーズを目指していたが、左前肢の脚部不安で回避。残念ながら長期休養を強いられることになったが、在厩で治療を進めていくという。年末の取材で奥村武師は「(患部が)珍しいところで、リハビリの程度を決めるにしても、エコーやMRIの検査が細やかにできるトレセンで治療を進めるのが確実ですからね。全然、諦めるつもりはないです」と、復活へ意気込んでいた。記者も元気にターフを駆けめぐる姿を、またこの目で見たくてならない。(中央競馬担当・坂本 達洋)