「大井の帝王」的場文男騎手の素顔とは「竹見さんの記録を…」20針縫う大ケガを克服して大記録達成

 「大井の帝王」的場文男騎手が、半世紀以上にわたる騎手生活に別れを告げ、鞭を置くことが2月14日発表された。スポーツ報知紙上で10年以上もコラムを掲載。担当を長らく務めた春木宏夫記者が帝王の素顔を「見た」。

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 ファン時代から半世紀にわたって携わってきた私の競馬人生において、ひとつの歴史が終わった思いだ。小学5年生から競馬を見始め、父に連れて行かれた1970年代の大井では、すでに的場さんはトップジョッキーとして活躍していた。それから何と50年。JRAでは54歳まで騎乗した増沢末夫さんが“鉄人”と言われたものだが、それをはるかにしのぐ、70歳近くになっても馬に乗っていた。そればかりか、レースに騎乗して昨年は67歳にして勝ち星を挙げるなど、感心するばかりだった。“大井の帝王”はけがのためステッキを置くことになったが、その足跡はファンの心に残し、さらに歴史もしっかりと刻んだ。

 私が担当したのは2015年から18年までと21、22年の合計6年間。的場さんは58歳から60歳代にさしかかっていたが、勝負に対する意欲はほかのトップジョッキーにも負けず劣らず。騎乗予定馬の取材で、惜しいレースを続けている馬がいれば、「今度は勝たせなくてはいけないでしょう」と強気な姿勢を貫いた。さらに、精彩を欠いていた馬の調教を自らつければ「俺が稽古をつけているから(状態が)良くなっているよ」。実戦並みの猛時計をマークする“攻め”の姿勢で激変に導いたりすることもしばしばだった。

 佐々木竹見さんの持つ地方競馬通算7151勝を更新する気持ちも半端ではなかった。18年8月に大記録を達成したが、その2か月前には左脚のひざの内側を20針縫う大けがをしていた。それでも「竹見さんの記録を…」と執念で復帰。“的場ダンス”と言われたダイナミックな騎乗フォームを継続。“頂点”に立ったのだ。

 悲願の東京ダービー制覇こそならなかったが、今後は「新たな道を歩む」という。以前は「騎手をやめたら、ただのおじさんになってしまう」と話して現役にこだわっていたが、近くのスーパー銭湯でゆったりして、さらには孫と遊ぶのをこよなく愛する。そんな悠々自適な次のステージを満喫してほしい。(2015~18年、21~22年地方競馬担当・春木 宏夫)

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