
東西8人の調教師が今週末の競馬を最後に、別れを告げる。美浦の宗像義忠調教師(70)=美浦=は、30年を超えるキャリアを振り返った。
いつも一生懸命に駆け抜けたホースマン人生だった。宗像調教師は30年以上に及ぶ調教師生活を振り返り、「いろんなことが走馬灯のようによみがえってきますけど、忙しかったというか、あっという間でしたね」と充実した日々を思い浮かべる。
競馬との出会いは、少年時代に父に連れて行ってもらった夏の日の福島競馬場だった。「父も競馬が好きで、口実に子供を連れて行ったんじゃないですか(笑)。多頭数で芝を疾走する蹄(ひづめ)のドーッという音が記憶に残っていますね」。動物関係の仕事をしたいという漠然とした将来像で青森にある北里大学獣医学部に進み、馬術部で活動するなかで美浦の高橋英夫調教師と知り合った。胸に芽生えていた興味が膨らみ、80年から同厩舎で助手の道に進んだ。
83年のオークスを制した名牝ダイナカールなどを育てた師匠は、インターバルトレーニングなど先進的なものを取り入れ、真面目な仕事ぶりから学ぶものは多かったという。番頭格で仕事を任されるうちに調教師を志すように。93年の開業後は師匠譲りの丁寧な仕事で、馬の良さや能力を引き出すことを第一に心がけてきた。重賞7勝の中山巧者バランスオブゲームや、その半弟でステイヤーのフェイムゲームなど個性派を育ててターフを沸かせた。
そして開業30年目にして、22年の高松宮記念を弟子の丸田恭介騎手とナランフレグで初G1制覇。「たぶんG1はもう勝てないと思っていたので、ホッとしたというのが一番でしたね」。号泣するまな弟子をよそに、喜び方にも生真面目な人柄がにじんだ。
競馬の魅力について改めて問われると、「やはりゴール前の迫力には魅力を感じますね」とかみ締めるように語った。今後はしばらくはゆっくり過ごすつもりというが、ずっと“初心”は忘れない。(坂本 達洋)
◆宗像 義忠(むなかた・よしただ)1954年7月26日、福島県生まれ。70歳。北里大学獣医学部を卒業後、80年から美浦・高橋英夫厩舎で調教助手に。92年に調教師免許を取得して、93年に開業。01年の新潟2歳S(バランスオブゲーム)で重賞初勝利。G1・1勝を含む重賞23勝。