人の気持ちを大事に歩んできた音無調教師の魅力 「底を見ている」からこそ伝わる温かさ

音無秀孝調教師
音無秀孝調教師

 今週末の開催を最後に、東西8人の調教師が引退する。その一人、音無秀孝調教師(70)=栗東=の素顔に、長く取材したヤマタケ(山本武志)記者が迫った。

 分かってはいたけど、こんな原稿を書く日が来たのか―。音無調教師のラストデーが今週末に迫った今の素直な心境だ(定年引退は3月4日)。競馬記者としての約20年。馬場監視員が待機する「坂路小屋」に足を運び、栗東にいる時は毎日のように話を聞いた。16年に同じく引退された元調教師の橋口弘次郎さんとのやり取りや、豊富な知識から脱線しがちななか、本音を引き出そうとする取材。常に「教育」されてきたような感覚で、本当に感謝は尽きない。そして、寂しい。

 この世界には18歳でコックからの転身という異例の形で入り、半世紀以上が過ぎた。騎手時代に85年オークス(ノアノハコブネ)でG1を制し、調教師としてはJRAで996勝。重賞はG114勝を含む90勝と輝かしい成績を挙げながら、こんな言葉を口にする。「俺は底を見ているからね」。

 14年にわたる騎手生活では重賞6勝で84勝。大レースで結果を出していたが、後半は乗り鞍が少ない時期が続いた。「1日1鞍だけとかが多くて、当時は充実感がなかったね」。1993年に引退後、95年から調教師に転身。しかし、開業から7年は20勝にも到達せず、苦悩の日々が続いた。

 名トレーナーへの道は「ある場所」との出合いから始まった。開業から5年目の2000年に坂路小屋の前にできた角馬場だ。当時は追い切り前後の運動量など、スタッフが自分で考えるような時代。しかし、この角馬場の建設工事中から「完成すれば、皆で一緒に行って、運動して、一緒に帰ろう」と声をかけた。

 「当時から、ずっと各馬の運動量を増やしたかったんですよ。けど、動いてくれない人もいる。どうしようかと考え、皆が同じ行動をするようになれば、自然と増えていくかな、と」。一つのきっかけでうまく集団行動を取り入れ、理想の形に近づけた。開業当初に橋口さんから聞いた「人をうまく使いなさい」という教えを実践するような采配で、角馬場完成の2年後になる02年には前年の倍以上の36勝をマーク。以降は馬の質の向上も重なり、高水準で勝ち星を維持し、10年には初の全国リーディング(52勝)を獲得する名門厩舎となった。

 忘れられないことがある。昨夏に22年まで所属だった松若が酒気帯び運転による事故で半年の騎乗停止処分を受けた。実は松若に叱責するような言葉をほとんどかけていない。すぐに所属に戻した後、一言だけ伝えたのは「調教には毎日出てこいよ」。

 当時を振り返ってもらった。「人間って、一人じゃ何もできないし、弱いんだよ。だから、放っておいてはいけない。部屋に閉じこもってもね。俺も苦労して、底辺まで下がったことがあるから分かるんだ」。所属に戻す時は自ら足を運び、松若と二人で手続きを行った。今月3日に騎乗停止処分が解けた直後、すぐに交流重賞の佐賀記念でデルマソトガケを託した。絆はさらに深まった。

 人の気持ちに寄り添いながら、起伏に富んだ道のりを歩んできたホースマン人生も、あと1週間。JRA1000勝まで「あと4」だが、「地方や海外を合わせると1000は勝っているし、もういいんだよ」と口にする。確かに地方と海外で計29勝しており、通算で1025勝。ただ、最終週も松若とのコンビでラスト重賞となるサウンドサンライズのチューリップ賞など10頭以上が出走を予定している。「この後は2、3日ぐらい、ゆっくり温泉に行きたい。去る者は追わず、でいいよ」。こんな「らしい」言葉を聞けるのもあとわずか。最後まで自然体で駆け抜ける姿を見守りたい。(山本 武志)

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